2024年11月23日(土)

WEDGE REPORT

2016年8月25日

 台湾には「日本語世代」と呼ばれる人々がいる。日本統治下の台湾に生まれ、成長した人々で、いずれも70代後半以上の高齢者である。現在も日本語を常用し、日本から取り寄せた雑誌を愛読する。

 同世代の仲間との雑談はすべて日本語で行い、時には熱い議論を交わす。書棚には年季の入った国語辞典が並び、NHKの「のど自慢」や大相撲を見るのが日課だという人も少なくない。

 周知のように、台湾は1895年(明治28年)から終戦までの半世紀、日本による統治を受けた。日本は台湾を新領土ととらえ、各種制度を整え、産業インフラの整備を進めた。

 特に教育を重視し、各地に学校を設けた。日本語世代は等しくこの時代に生まれ、日本人として育てられた人々である。もちろん、張氏もそのうちのひとりである。

 戦後、日本人が去った台湾にやってきたのは中華民国だった。蒋介石率いる国民党政府が新しい統治者として君臨し、征服者として振る舞った。

 しかも、毛沢東率いる共産党との内戦に敗れた後は国体そのものを台湾に移してきたため、日本語世代には数多くの葛藤が生まれた。

 国民党政府は言論統制を敷き、様々なかたちで弾圧を加えた。人々は言論の自由を奪われ、郷土文化の研究はもちろん、郷土意識を抱くことすら禁止された。日本語はもちろんのこと、台湾の土着言語も公の場では禁止され、政府が持ち込んだ北京語が強要された。

複雑な経緯を経て形成された台湾の親日的気質

 この時代、国民党政府は台湾に残った日本の影響力を払拭するべく、「排日政策」を採った。体制に都合のいい独善的な教育が行われ、被統治者となった台湾の住民は閉ざされた現実を強いられるが、ここで人々は戦前の日本と戦後の中華民国という2つの外来政権を冷静かつ客観的な目線で比較するようになった。

 親日的な気質で語られることの多い台湾だが、それは単純な心情ではなく、こういった歴史的経緯を経て導かれたものであることを忘れてはならないだろう。台湾では世代を問わず、日本への評価を耳にするが、その背景にはこういった事情がある。

 言い換えれば、日本統治時代に生まれ育った人々は例外なく、体制の顔色をうかがい、そして一方で戦前に培われた精神を秘めながら、人生を歩んできた。自由のない環境の中で、自らが幼少期や青年期に培ってきたものを静かに見つめ、日本との繋がりを保ってきたのである。

 「張氏は日本人以上に日本人的だった」と池本氏は語る。張氏は生前、自分の原点は日本にあると公言し、自身の気概は日本時代に培われたものであると語っていたという。

 同時に、常に自らを律して謙虚さを失わない性格や、恩義に厚く、一度でも世話になった人には決して感謝の気持ちを忘れないという性格、そして何より、誰よりも勉強熱心だったという点も、日本人的な気質だと台湾では言われている。エバー航空を設立する際には日本で航空業界についての書籍を大量に買い込み、寝食を忘れて研究に没頭したというエピソードも残る。


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