ケンタウロスの時代
サフォーは講演の中で、コンピュータ(AI)が人間の仕事を奪ってしまうのではないかという危惧に触れ、コンピュータは答えることはできるが適切な質問をする(考える)ことができないと指摘した。コンピュータは囲碁というゲームで人間に勝つことはできるが、新しいゲームを考え出すことはできない。そして、ケンタウロスのように人間とコンピュータが融合し密接なパートナーシップを結ぶことによって、人間単独あるいはコンピュータ単体よりも大きな力を発揮できると考えるべきだと話した。
人間とコンピュータの融合とは「人間の脳の構造が研究しつくされて、コンピュータが超高性能になったときシンギュラリティ(技術的特異点)が訪れ、科学技術によって人間の能力が根底から覆り変容する」というレイ・カーツワイルの描いた世界と共通するが、恐ろしげな姿の半人半獣のような物理的な融合ではなく、その関係は親しい友人としての相互補完的な役割分担をイメージすべきだろう。
『マイクロエレクトロニクスとパーソナル・コンピュータ』の最後で、アラン・ケイは「自分の仕事そのものを自動化してはいけない。素材だけにとどめるべきだ。絵を描くなら、描く作業を自動化するのではなく、新しい画材をつくるためにコンピュータをプログラムすべきだ。音楽を演奏するなら、自動ピアノを作るのではなく、新しい楽器をプログラムすべきだ」と、将来、実現されるであろうダイナブックとの関わり方を説いている。
サフォーの言葉のように人間とコンピュータが親しい友人になるには、コンピュータが一方的に進化するだけでは不十分で、それを扱う人間の方でもコンピュータの進化に合わせてトレーニングし進化することが必要だろう。
講演の後、サフォー氏は長年の友人でもある小平氏と連れ立って、岩手県宮古市重茂の姉吉地区にある「大津浪記念碑」を訪れた。東日本大震災によって引き起こされた巨大津波によって、沿岸部の家々が津波で押し流された宮古市で、姉吉地区は建物被害が1軒もなかった。この地区に来襲した1896年の大津波の被害をうけた地域の住民が、子孫への警告として設置した災害記念碑の碑面には次のような言葉が刻まれている。
高き住居は児孫の和楽
想へ惨禍の大津浪
此処より下に家を建てるな
明治二十九年にも、昭和八年にも津浪は此処まで来て
部落は全滅し、生存者僅かに前に二人後に四人のみ
幾歳経るとも要心あれ
くれぐれも要心あれ。
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