古希バックパッカー海外放浪記
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モンゴル・内蒙古周遊 第2回
2018/07/01 高野凌ウランバートル郊外の日本人墓地跡の慰霊碑・記念堂を訪ねた。市内からローカルバスを乗り継いでバス停から徒歩20分ほどで高台の公園のように整備された施設に到着。慰霊碑や記念堂からはウランバートル市街が望見できる。
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モンゴル・内蒙古周遊 第1回
2018/06/24 高野凌2人の周囲にも日本に留学や仕事で滞在している人間がいるという。ちなみに2017年6月時点の日本政府統計では在日モンゴル人は9500人程度である。その後もモンゴルを旅行中に日本語を話すモンゴル人青年に何度か遭遇した。
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東インド・ネパール周遊 第12回
2018/06/17 高野凌私は数カ月くらい海外旅行しても日本食が恋しくなるということは全くない。理由は明瞭で海外でまともな日本料理を食べようとすれば、日本人ビジネスマンが経費で接待するような高級日本レストランでなければまともな和食にありつけないからである。現地の物…
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東インド・ネパール周遊 第11回
2018/06/10 高野凌若いころから老境に至るまで海外放浪人生を送ってきたという中高年欧米人は多い。ビエンチャンの安宿街で沈没していた米国人。クアラルンプールの安宿で隣にいたベルギー人。アテネのホステルで同室になった英国とドイツの老人。記憶を辿ると、かすかに彼ら…
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東インド・ネパール周遊 第10回
2018/06/03 高野凌私は金銭や物をねだって向かってくる人に対して、徹底して無視することを旅の鉄則としている。途上国を歩いていればこうした人に頻繁に遭遇する。1人を相手にすれば、無数の人に追いかけられることになる。
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東インド・ネパール周遊 第9回
2018/05/27 高野凌Kさんは世界的に有名な日本の大手スポーツ用品メーカーのチームに所属していたアスリートであった。20代後半になり競技人生のピークを過ぎた頃、テクニカルアドバイザーとして正社員として働かないかオファーを受けた。Kさんはサラリーマンとして生きて…
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東インド・ネパール周遊 第8回
2018/05/20 高野凌ビザとは就労ビザを指しているようで、“ヨーロッパで働こう”“日本での就労お任せください”みたいな英語のキャッチ・コピーが並んでいる。“ヨーロッパで働こう”の看板の下には“トルコ、ポーランドのビザ手配”とある。
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東インド・ネパール周遊 第7回
2018/05/13 高野凌ポカラは湖畔に広がるネパール第二の大きな町である。暗がりの中で街路灯を見ると『中華人民共和国西蔵自治区○○市○○』と住所が書いてあった。おそらく中国がネパールへの援助の一環としてチベット自治区の街の整備で余った街路灯を提供したのであろう。
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東インド・ネパール周遊 第6回
2018/05/06 高野凌旅先で出会う一人旅の若者の多くは何かしら“自分探し”をしている。インド・ネパールの旅で出会った大学生の大半は将来の人生に明るい希望や確たる目標を持てずに彷徨っているように思えた。
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東インド・ネパール周遊 第5回
2018/04/29 高野凌タイ寺の計らいで、バングラデッシュ寺のホテルのような宿坊でのんびり過ごす。日が暮れてから散歩に出かけた。適当な食堂を探そうと歩いていると、タイ寺とブータン寺の間の通りの一角が賑わっている。
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東インド・ネパール周遊 第4回
2018/04/22 高野凌日露戦争以来の日本人の国民的下痢止め薬である○○丸が効かないのである。「その土地の病はその土地の薬でないと効かない」と有名な旅のエッセイで読んだことがあるが、果たしてそうなのか。とにかく多少症状が改善したかと思うと夜中にゴロゴロとお腹が鳴…
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東インド・ネパール周遊 第3回
2018/04/15 高野凌ニューデリーから列車で一昼夜かけてバラナシに移動。バラナシ駅に降り立つと人力車(リキショー)の車夫やらタクシーの運ちゃんやら物売りが殺到してくる。噂に聞いていたバラナシ的混沌と喧騒の世界である。
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東インド・ネパール周遊 第2回
2018/04/08 高野凌1週間デリーに滞在。いわゆる日本人宿であり邦人の若者バックパッカーが毎日入れ替わり立ち代わりで滞在してゆく。さらにインドにおけるカオスの極めつけと言われるバラナシに一週間滞在。この間に多数の邦人の若者に出会った。2月下旬は大学生の春休みで…
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東インド・ネパール周遊 第1回
2018/04/01 高野凌老母の問題を片付けない限り安心して次の旅に出立できない。インド・ネパール周遊の格安航空券の出発日である2月25日の出発まで1カ月半しかない。その間に実家と自分の確定申告を済ませて、老母を施設に引っ越しさせなければならない。逆算すると相当に…
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マレー半島・ボルネオ島 第10回
2018/03/25 高野凌Yさんは2カ月の休暇を取得して日本から韓国、中国、インドシナ半島、マレー半島を経てボルネオ島に至る大旅行を計画していた。その最終目的がキナバル登山だ。コタキナバルでYさんと合流してキナバル山登頂を目指すことに決めた。
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(2016.10.10~12.23 75日間 総費用21万7000円〈航空券含む〉)
2018/03/18 高野凌路線バスを乗り継いでコタキナバル郊外の日本人墓地を訪ねた。バスの運転手や地元の住人にも知られているらしく、「Japanese Cemetery」と尋ねると親切に案内してくれた。
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マレー半島・ボルネオ島 第8回
2018/03/11 高野凌ゲストハウスのテーブルでは豪州、カナダ、NZ、アルゼンチンの30歳前後の男女バックパッカーが地酒で酒盛りしていた。豪州の青年が“サンダカン死の行進”(Sandakan Death Marches)と呼ばれる旧日本軍の捕虜虐待問題について語…
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マレー半島・ボルネオ島 第7回
2018/03/04 高野凌レオン老人についに面会できた。ミルクコーヒーを飲みながらレオン氏から英語・標準中国語(普通語)のチャンポンで話を聞いた。レオン氏は1930年生まれの86歳。話すほどに昔の記憶が鮮明に蘇り、話し方も生き生きしてくる。
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マレー半島・ボルネオ島 第6回
2018/02/25 高野凌中国南部(華南)では中央集権封建制度を支えていた儒教思想よりも個人の自由・独立を重視する道教が広く信仰されており中国(中華)への帰属意識が低い。中国人には歴史的に海外進出を厭い、中華思想(中国以外は蛮夷として蔑視)がある。
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マレー半島・ボルネオ島 第5回
2018/02/18 高野凌コタキナバルの警察署近くのルーシーズ・ゲストハウスにチェックイン。オーナーのルーシーが家族経営している小さなゲストハウスだ。居心地が良くて1カ月以上長逗留してしまった。
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