2024年11月22日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2018年5月19日

 中国のソフト・パワー戦略を説く『華僑華人在中国軟実力建設中作用研究』謝婷婷・駱任 経済科学出版社 2015年)によれば、アジアに約3400万人、南北アメリカに約815万人、ヨーロッパに260万人強、大洋州に95万人強、アフリカに約80万人で、総計で5000万人ほどの華僑・華人が在住していることになる。最近ではアフリカからのUターンも見られるというが、最多では200万人に迫っていたであろう。だとするなら、ここで示した5000万人という数は内輪に見積もったものと見做してもよさそうだ。

 20世紀最末期から21世紀初めにかけては、一般には世界の華僑・華人人口は3000万人から3500万人と見られていたことから考えると、5000万人はやはり飛躍的な増大といえる。やはり急増分は中国からの「走出去」組と考えて間違いないだろう。

 海外在住の漢族系は、(1)漢族出身の中国公民(国籍保持者)で海外在住者である華僑、(2)同じく漢族出身の海外在住者だが既に中国国籍を離脱した外国国籍保持者である華人、(3)中国が対外開放して以降の海外在住中国公民である新華僑――と大雑把に3分類できる。因みに精華大学の陳雲教授は2007年時点での彼らの総資産を日本円換算で2000兆円超と試算している。

 以上を言い換えるなら、『亞洲週刊』のターゲットは東南アジアを中心に世界各国各地に住む5000万人ほどであり、その総資産は2000兆円規模ということになる。

 もっとも最近では漢族以外の少数民族であってもルーツを中国本土とするなら華僑・華人の仲間に加える方向であり、たとえば反中チベット族であれ《自己人(なかま)》と見做そうというのだから、“中国系在外在住者”の数は増えるばかりだ。

『亞洲週刊』の販売地域の拡大は、購読者である“中国系在外在住者”の増加を傍証しているといえるだろう。

『亞洲週刊』が映し出す「中台関係」の機微

 1987年12月13日号の表紙は、腕を組み肩を寄せ合い涙する女性の写真と「笑声涙影回郷行(涙と笑いの里帰り)」「隔別卅八載 両岸初団円(分かれて38年 両岸初の団欒)」の文字で構成されている。

 国共内戦に敗れた蔣介石が国民党政権を率いて台湾に逃れた1949年以来、台湾海峡は戦争状態に在り、両岸の往来は厳禁されていた。この間、「通商・通航・通郵」の「三通政策」を掲げ政治抜きの交流を呼び掛ける中国側に対し、台湾側は「不接触・不交渉・不妥協」の「三不政策」で応じていた。だが蔣経国が政権引き継ぐや対中政策は見直され、一般人の探親(里帰り)旅行が解禁されたのである。但し共産党政権を認めないことから香港やマカオ、あるいは我が石垣島などの第3地経由の交流という限定付きであり、台湾海峡を西に向って直航することはできなかった。

【写真-1】『亞洲週刊』(2001年1月) 写真を拡大
※画像は筆者提供

 だが台湾独立を掲げる民進党出身の陳水扁政権発足を機に、皮肉にも両岸の交流は一気に進み、2001年1月初めには台湾側(金門、馬祖)から福建省(厦門、福州)へ直航船が向かうこととなった(写真-1参照)。この時点では「小三通」と呼ばれる台湾側(金門、馬祖)と福建省のみの交流だった。

 その後は、先ず海路の直航が始まり、次いでチャーター便から定期便へと航空路での直航便が運航され、台湾全島と中国全体の交流を可能とする「大三通」へと両岸交流は拡大する。

 2001年以後をみると、その時々の政策に硬軟に使い分けはみられるものの、共産党独裁政権における両岸政策は一貫している。これに対し台湾側は陳水扁(民進党/2000年~2008年)、馬英九(国民党/2008年~2016年)、蔡英文(民進党/2016年~現在)と政権が入れ代わるごとに紆余曲折が見られるが、双方が決定的な対立を回避しつつ微妙な形で現状維持路線に腐心している姿勢が、『亞洲週刊』からは読み取れる。


新着記事

»もっと見る