2022年8月15日(月)

児童書で読み解く習近平の頭の中

2018年6月6日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

幼少期から「政治的役割」を与えられた世代

 1957年6月には反右派闘争が始まり、7月には『従石頭到紙(石から紙へ)』(李懋学 少年児童出版社)が、翌8月には『美麗的樹葉(美しい木の葉)』(学前児童文芸叢書編集委員会主編 中国少年出版社)が出版されている。

 それから3カ月が過ぎ1957年11月、社会主義12カ国会議参加のためにモスクワに乗り込んだ毛沢東は中国人留学生を前に、「東風圧倒西風(東風が西風を圧倒する)」と傲然と語りかけた。いまや東側社会主義陣営が西側資本主義・帝国主義陣営を圧倒しているというのが一般的な解釈だが、翌58年の動きを振り返ると、この考えは変わるはず。58年5月には大躍進運動がはじまり、7月に北京を訪問したフルシチョフによる中ソ共同艦隊建設提案を毛沢東が拒否し、8月には人民公社建設と鉄鋼大増産を軸とする大躍進の大号令が下され、人民解放軍が台湾の“解放”を狙って金門・馬祖島へ砲撃をはじめた。

 つまり、「東風」は毛沢東であり中国、「西風」はフルシチョフでありソ連・東欧社会主義陣営と看做すほうが、当時の毛沢東の意気軒昂たる心境を言い当てているだろう。

 『従石頭到紙』は、「小さな友人諸君、キミたちは知っておくといいよ。古代人はどのようにして字を書いたのか。どんなもので書いたのか。何処に書いたのか、を。するとキミたちは、きっとこういうだろう。『誰にそんな知恵があったの。気が遠くなるような昔のことなど、ボクたちに伝えることができるの?』って」と書き出される。

 中国人の地質学者や考古学者が歴史以前の世界を“旅行”し、様々な地層の内部まで出かけて行ったり、人類の祖先の住まいを訪問し彼らの当時の生活ぶりを研究した結果、遥かに昔の原始人は岩山の洞窟に住んで狩猟や木の実などを採って生活していたことが判った。石を細工して武器など作って狩猟したが、絵も描いていた――こんな説明文の後に、「そんなことがあったの。原始人は絵を描けたの」と子供口調で素朴な疑問を示し、それに「そうなんだよ。文字のお母さんこそが絵なんだ。最初、原始人は字を書くことを知らなかったというわけさ。その頃は、字なんてなかったんだよ。だけど絵は描けたんだ」と優しく噛み砕いて教えている。

 「毛筆も鉛筆も、紙もなかったんでしょう。どうしたら絵が描けたの」

 「だからさあ、磨いた石や骨が彼らにとっての筆記用具だったんだ」

 「じゃあ、紙は」

 「彼らが住んだ洞窟の大きな石の壁さ。それから平らな石の表面や獣の骨・・・こういったものが彼らにとっての“図画用紙”だったんだな」

 かくして竹簡、木簡にはじまり、優秀な中華民族が世界で最初に紙を発明し、紙は用途を拡げたと説明し、「人々の知恵と労働が色んな種類の紙を生みだしたんだ。だから、ボクらは紙を無駄にすることなく、丁寧に扱おうね」と結んだ。

 中華民族の優秀さが語られると同時に、「小さな友人諸君」の脳髄にも政治の影、つまりは毛主席の存在が刷り込まれるようになる。そこで『美麗的樹葉』の表紙を開いてみたい。花の咲く草むらに坐る袖なしシャツに半ズボンの男の子と白いブラウスに赤いジャンパースカートの女の子。どちらも丸々と太っている。2人は胸に大きなリンゴを抱きながら、上空を飛ぶ小鳥に呼び掛ける。

(画像:筆者提供)

 「小鳥サンが飛ぶ、小鳥サンが飛ぶ/小鳥サンは何処まで飛ぶの/どうかこっちに飛んできて/お願いがあるんです/母さんがくれた大きなリンゴ/お願い、毛主席に届けてね」

 いよいよ子供たちの目の前に、《偉大な毛主席》が立ち現われるのであった。

 『従石頭到紙』と『美麗的樹葉』の出版翌年の1958年、大悲劇の大躍進が始まり、中国は国を挙げた長く重苦しく激しい政治闘争の時代に突入し、子供が子供であることができた幸せで長閑な時代は終わりを告げ、“小さな大人”として立派な政治的役割を与えられ、政治闘争の前面に躍り出るのであった。そんな子供たちこそ、現在の中国を動かす中核世代――最高権力を掌握するチャイナ・セブンから全国各地の党と軍の幹部、国有企業と私企業の経営幹部、大学学長など――であることを忘れてはならないだろう。

  
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