2024年12月14日(土)

名門校、未来への学び

2018年12月6日

 日本を代表する名門高校はイノベーションの最高のサンプルだ。伝統をバネにして絶えず再生を繰り返している。1世紀にも及ぶ蓄積された教えと学びのスキル、課外活動から生ずるエンパワーメント、校外にも構築される文化資本、なにより輩出する人材の豊富さ…。本物の名門はステータスに奢らず、それらすべてを肥やしに邁進を続ける。

国立高校正門

 学校とは単に生徒の学力を担保する場ではない。どうして名門と称される学校は逸材を輩出し続けるのか? Wedge本誌では、連載「名門校、未来への学び」において、名門高校の現在の姿に密着し、その魅力・実力を立体的に伝えている。だから、ここでは登場校のOB・OGに登場願い、当時の思い出や今に繋がるエッセンスを語ってもらおう。

 今回取り上げた名門校は、毎年9月初旬開催の文化祭「国高祭」が“日本一”と評判の、1940年創立の都立国立高校だ。国高祭が注目されるのも、2日合わせて1万人に及ぶ集客数によるばかりではない。生徒がすべての役割をこなす3年演劇を頂点とする、その内容が度外れている。  

 Wedge12月号「名門校、未来への学び」では、その舞台裏にも肉薄。受験勉強そっちのけで、ひと夏をかけて演劇制作に打ち込む、生徒たちの姿を捉えている。

 しかし、演劇が国高の伝統となったのも、この四半世紀のこと。ただし、以前からクリエイティビティの高い学校で、ある時代までの3年生はクラスで映画を作っていた。よって、社内に閥があるほど電通マンも輩出している。

 芸能分野で活躍するOBOGも多い。彫刻家という一面も持つ俳優の六平直政、女優では映画『Shall we ダンス?』での名演が光る草村礼子(中退)など。また、テレビ朝日の富川悠太ら、出身アナウンサーも何人かいる。

大西順子さん

 もっとも、国際的にその名を轟かすといえば、ジャズピアニストの大西順子さんにトドメを刺す。作家の村上春樹も彼女のファン。「昔のジャズが熱かったころの魂を持っている人で、妥協がない」というのがその大西評だ。

 国高卒業後、すぐにボストンのバークリー音楽院に入学。首席で卒業後、ニューヨークを拠点にテナーサックスのジョー・ヘンダーソンやアルトサックスのジャッキー・マクリーンら、伝説級のミュージシャンと共演してきた。

 ピアノは4歳から自らの意志で始め、もちろんクラシックを学んでいた。しかし、小学校の終わりぐらいに映画『ブルース・ブラザーズ』を観て、転機が訪れた。劇中、説教師に扮したソウルの神様、ジェームズ・ブラウンの歌声に脳天から痺れたのだ。

「神様が私にも降りてきましたよ(笑)。ジャズよりも前にそんな洋楽をよく聴いてました。R&Bはまぁ、ジャズの親戚ですけどね。あの映画に出てきたアーティストでは、(先日物故した)アレサ・フランクリンにも惹かれました。

 高校にはもっと本格的な、芸大のピアノ科を受験した子とかもいましたけど、私がアメリカに音楽の勉強に行ったと知り、後々ビックリしている人は多かった。当時は10クラスもあったのに、本当に数人しか知らなかったんです。卒業を控え、行くかどうか悩んでいた時でも、打ち明けたのはほんの何人か。

 ただ、3年の音楽の授業で、各々好きに作曲をするというのがあったんです。どういう曲を書いたかはもう忘れちゃったけど、どこかで噂は聞いていたのか、その先生は『君はアメリカに行ったほうがいいよ』って、評価してくれましたね。

 で、いろいろ調べるうち、やはりジャズをやったほうがいいなと。バークリーも今ほど日本では名前が知られてなかったし、たまたま奨学金ももらえた。でも、親は猛反対でした。そもそも家はそんなお金持ちじゃないし、音大には行かせられないと言うので、国高に入ったんです。

 でも、それでもバークリーに行きたいと行動を起こしていた時に、ちょうどいいタイミングで兄の渡米が決まったんです。兄は立川高校から東大に進み、官僚になったんですが、アメリカにMBA取得のために留学することになって。結果同じ時期に渡米することになって、最後まで反対していた両親には兄のいるフィラデルフィアとボストンは隣町だからーと説得して、ロスでサヨナラ(笑)。」

 フィラデルフィアとボストン間は500kmほど離れている。兄は9歳上だったので、モダンジャズやニューロックのレコードを“教養”として聴いている世代だった。そこで兄の部屋を勝手に家捜ししては、いろんなアルバムを耳にし、衝撃を受けたのが天才ピアニスト、セロニアス・モンクの『ネリーと共にいる黄昏』という曲。それも国高在校中の出来事だった。


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