2024年4月20日(土)

矢島里佳の「暮らしを豊かにする道具」

2019年3月8日

「目覚めの一杯」を楽しむのに流派などいらない

 抹茶茶碗、茶杓(ちゃしゃく)、茶筅(ちゃせん)があれば簡単に抹茶を飲める。家に抹茶茶碗や茶杓がなければ、抹茶茶碗はお椀で、茶杓は小さなスプーンで代用してもよい。ただし、茶筅だけはやはり茶筅でなければならないのだ。お抹茶を小気味よくやや泡立てる茶筅。私は表千家なのだが、湖に細いお月様が浮かぶように立てるのが良いとされているので、泡立て過ぎない。逆に裏千家は、泡がたっぷり立っている方が良いとされているので、お泡立ちよく仕上げる。

 と、まあ流派ごとにいろいろと美の定義が異なるのだが、朝、目覚めの一杯の抹茶を飲むのに、流派も何も必要ないと感じる。茶道から切り離して、単純に抹茶を飲むという思考に切り替えると、案外気軽に抹茶を飲めることにも気がついた。マイルールで美味しいと感じる、美しいと感じる抹茶を点てて、目覚めの一杯を頂けばよいのである。茶道のお点前と、目覚めの一杯として飲む抹茶は、全く別の世界だ。

(写真提供:筆者) 写真を拡大

 朝、目覚めの抹茶を飲むようになった私の新たな発見は、茶筅に目がいくようになったことである。茶道のお道具は、見立てという楽しみ方があり、必ずしも茶道のお道具用に作られたものを使う必要はない。抹茶茶碗がなければ、自分のお家にあるもので、抹茶茶碗の代わりになりそうな器があればそれを使えばよいのだ。

 しかしながら、茶筅だけは見立てで別のものが使われることはほぼないように感じる。竹の柔らかいしなりと素材感は器を傷つけることもなく、お抹茶を美味しく泡立てる。完成仕切った機能美と見た目の美しさ。茶筅、見れば見るほど不思議で、どのように作られているのか気になり、室町時代から続く奈良県生駒市の高山にある「茶筅師の里」へ訪れてみた。


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