筋金入りの闘士エミリーは“中流階級出身”
エミリーは1872年にロンドン郊外のグリニッジで商人の娘として生まれた。いわゆる中流階級の家庭で育ち11歳まで自宅で家庭教師から教育を受けた。
日本人は中流階級というと持ち家を保有するフツウの勤労者世帯をイメージする。しかし19世紀後半の英国の中流階級=中産階級(middle class)とはお屋敷に専属の住み込みの家庭教師(governess)を雇って子供たちに初等教育を施す階層なのである。
映画『サウンド・オブ・ミュージック』のなかで、トラップ大佐のお城のようなお屋敷で、子供たちの教育をしていたジュリー・アンドリュース扮する家庭教師(governess)を思い起こしてもらいたい。
エミリーの苦学力行
エミリーは裕福層の子弟が学ぶ私立学校に通学してからフランスに一年留学。13歳でケンジントン・ハイ・スクール(王立系の私学で英国的伝統の寄宿学校)に入学。そして奨学金を得て19歳で王立ホロウェイ・カレッジに入学。しかし父親の死後学費が払えず20歳で中退を余儀なくされている。
その後の彼女の頑張りがスゴイ。住み込みの家庭教師をして学資を稼いで、オックスフォード大学のセント・ヒューズ・カレッジに入学して優秀な成績を収めた。しかし卒業できなかった。オックスフォード大学では男性にしか学位は授与されなかったのである。
エミリーは23歳から学校の教師や家庭教師をして自活。30歳の時にロンドン大学で学び始め36歳で学位を取得している。
闘士エミリーは生涯に9回投獄
1903年にパンクハースト夫人が設立した婦人社会政治同盟(WSPU)に1906年に参加。数年後にエミリーは婦人社会政治同盟の専従職員となり、デモ行進を先導。
1909年に首相への面会を求めるデモ行進で警官隊と衝突、公務執行妨害で初めて逮捕投獄。その後も女性の参加が禁止されている政治集会に投石して妨害、さらに政治集会に強引に参加しようとして三度逮捕投獄。
さらに投石、放火、器物損壊などの罪で生涯に9回逮捕投獄されている。そして監獄で累計49回の強制給餌という屈辱的な体験をしている。
第一次世界大戦と選挙法改正
ダービーレースにおけるエミリーの決死的行動は広く社会の関心を集め、婦人参政権運動への世論も次第に変化。
1914年に第一次世界大戦が勃発すると、婦人社会政治同盟のパンクハースト夫人は闘争行為の停止を宣言。さらにパンクハースト夫人は女性たちが英国政府の戦争遂行に協力する協賛運動を始めた。
こうした戦争協力への見返りとして1918年に選挙法が改正され、21歳以上の男性全員と30歳以上の戸主及び戸主の妻の女性に参政権が与えられた。
市民としての権利を獲得するには時間と犠牲とテロルが不可欠なのか
戦争という巨大な外圧でやっと女性参政権が認められたというのは考えさせられる。歴史は様々な差別され抑圧された人々が完全な市民権=公民権(civil right)を得るための闘争のプロセスなのだろうか。
現代アメリカでも堕胎の権利はほとんど認められていないし、日本でもLGBTの結婚はごく一部しか法制化されていない。欧米では移民が差別され、途上国では少数民族が迫害され、日本でも多くの外国人労働者は法的保護の対象外である。
英国の婦人参政権運動が重い閉塞感のなかで、過激な行動に訴えた背景が理解できるような気がする。
英国では1928年に21歳以上の男女全員が投票できる普通選挙法が成立した。奇しくも、この年に婦人参政権の成就を見届けてエメリン・パンクハースト夫人は70歳の生涯を終えている。
⇒第9回に続く
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