インドで市民権法の改正がなされ、大規模な抗議運動を引き起こす事態となっている。市民権法の改正は12月9日に下院で可決された。上院では与党インド人民党(BJP)は過半数を持たないが、11日に可決された。
改正法の何が問題なのか。現行法は不法入国者とその子供たちが市民になることを禁じているが、改正法では、パキスタン、バングラデシュ、アフガニスタンの近隣3国から2014 年までに不法に入国した難民(数百万人と言われる)に市民権を与える。しかし、ヒンドゥー教徒、シーク教徒、仏教徒、ジャイナ教徒、ゾロアスター教徒が対象で、イスラム教徒には適用されない。それで、イスラム教徒を不当に差別するものではないかとの強い批判、反発が出ている。インド政府は抗議運動に対し、集会禁止、インターネットの閉鎖などの強権的手段で抑え込もうとしている。
市民権の要件に宗教が持ち込まれたのは初めてのことだという。インドの世俗主義に反すると言われても仕方ない。既に最高裁判所に訴えが出ている。1月には審理が始まるらしいが、最高裁判所が憲法に違反するもとしてこの改正を斥けることが好ましい結果だと思われる。憲法14条は「国はインドの領域において何人に対しても法の前の平等と法による平等な保護を否定してはならない」と規定している。
インド政府の説明では、アフガニスタン、バングラデシュ、パキスタンはイスラム教の国なのだから、イスラム教徒が迫害される筈はないとして、イスラムの難民を市民権の対象から除外することを正当化しているようである。しかし、それは恐らく建前上の説明であって、これは、インドをヒンドゥーの国に衣替えするというBJPが追求する長期目標の一環を成すプロジェクトであろう。
もう一つ、市民権法の改正は市民登録制度というBJPの別のイニシアティブと切り離し得ない関係にあるようである。市民登録制度はアッサム州から始まった。その狙いは、バングラデシュからの難民の流入に腹を立て、彼等を追い出すことにあった。昨年8月には作業が終了した。必要な書類を提示し得ず市民権を登録し得なかった者は190万人に上るが、案に相違して、3分の2はバングラデシュ出身のヒンドゥー教徒だったらしい。つまり、ヒンドゥー教徒を優遇しようとして、かえってヒンドゥー教徒に不利益を与えたことになる。今回の市民権法の改正によって、これらのヒンドゥー教徒は救われることになる一方、イスラム教徒は追放されるか収容所送りとなる。アミット・シャー内相は、市民登録制度を2024年までに全国で実施するとしているので、当然のことながら、全国のイスラム教徒はどうやって市民権を証明するかの恐怖に駆られることになる。
以上のように、アッサム州など東北部から始まった抗議運動は反難民感情(従ってヒンドゥー教徒の難民をも敵視した)に根差したもののようであるが、それが、イスラム教徒の差別に焦点を当てた全国的な抗議運動に発展した模様である。
市民権法改正は、難民に対して度量の大きなところを見せたかの如く装いながら、一皮むけば露骨なイスラム教徒排除とヒンドゥー教徒優遇の策だった。こういう道をインドは選択すべきではない。「自由で開かれたインド・太平洋」という構想のパートナーとして、日本も米国もインドを重視している。インドは、特定の宗教を弾圧するような、中国まがいの行動を取るべきではない。ワシントン・ポスト紙の12月24日付社説‘India’s protests should be regarded as a moment of truth for Modi’は、モディ首相は市民権法の改正に対する抗議の声に耳を傾け、改正を放棄すべきだ、と主張する。また、フィナンシャル・タイムズ紙の12月22日付け社説‘India is at risk of sliding into a second Emergency’は、インディラ・ガンジー政権下の1975-77年以来の非常事態令に至る恐れがあると警告している。インドはこの種の政策が持つ対外的な意味合いをもう少し慎重に考えるべきであるように思われる。
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