おおむね「成功」と言えるのではないか。「2020甲子園高校野球交流試合」が10日から計6日間に渡って行われ、17日で閉幕。新型コロナウイルスの感染拡大によって今年はセンバツ、夏の甲子園と全国大会が相次いで中止に見舞われ、暗い話題ばかりだった高校球界にとっては希望の光を灯す実り多きイベントとなった。
今春センバツに出場予定だった全32校の救済措置として主催の日本高等学校野球連盟、後援には朝日新聞社と毎日新聞社の大手2紙が名を連ね、開催へ踏み切った。前例のない試みとなっただけに、とにかく何もかもが異例づくめだった。移動や宿泊施設の利用に伴う感染リスクを抑えるため、すべては「必要最低限」を基本線に日程や試合の組み合わせにも大会関係者たちは神経を尖らせ、かつ気を配った。大会開催中は参加者、関係者に対してソーシャルディスタンスの確保やマスク着用など感染予防および感染の拡散防止に関する対策の徹底化が図られたのは言うまでもない。
これらの観点から恒例だった「甲子園の土」の持ち帰りが禁じられ(後日、別途贈呈される予定)、代わって今大会の各試合終了直後には使用したベンチの消毒作業のため両軍ともにグラウンドへ退避しながら荷物をまとめるという見慣れない光景も頻発した。スタンドには基本的に保護者やチーム関係者ならびに部員以外の入場を認めず無観客試合とし、報道陣に対しても人数制限と厳しい取材規制が設けられた。
例年、甲子園で行われている春夏の全国大会で各メディアはパス発行元の高野連側から試合前と試合後に取材機会が与えられていた。しかし今回の交流試合では試合後のみ。当たり前の話ではあるが、球児たちとの間には導線で仕切りが設けられ、風通しのいいスペースで一定の距離を置く形での取材しか容認されなかった。時間は僅か10分間。正直に言えば、全然足りない。
それでもコロナ禍に未だ収束の見通しすら立っていないにもかかわらず、全国から球児たちが集まって僅か1試合のみとはいえ、このように甲子園で戦う夢舞台を用意できたのはほぼ奇跡に近いことだ。そう考えれば、取材者の立場としても窮屈ではあるにせよ我慢できるし、これが大会関係者の「ベスト」な決断だったと解釈できる。
だが世の中ではネット上の記事やコメントなどを見ても、この「2020甲子園高校野球交流試合」の開催には賛否両論あるようだ。一部メディアの中には、球児やチームスタッフおよび大会関係者らの間でのクラスター発生や、ならびに開催地である関西の感染拡大を招きかねないなどとして「愚の骨頂」だとか「自殺行為」として煽るようなトーンでバッシングする論調も散見された。
「1試合だけなんて子供だましのようなもの。テレビ中継の視聴率もいつもの夏の甲子園大会よりはるかに悪く、世の大半が関心のない戦いをやらされるなんて球児や学校関係者たちは逆に気の毒だ」というトーンでまとめあげられた随分と乱暴な内容の記事もどこかで目にした。
だが、果たして本当にそうなのだろうか。確かに実際、筆者も実施前までは今大会開催にやや懐疑的な目を向け、西日本の参加校チームに属する指導者の1人から「100%に近い安全性の担保がどうしてもできておらず心配な上、部員たちからは同じ校内において全国大会が中止になった他の部のメンバーや関係者からやっかみ半分で〝嫌がらせ〟を受けるのではないかと危惧する声もあって、諸手をあげて喜んで甲子園に行っていいのか半信半疑なところもあります」といった内憂も耳にしていた。
しかし、それもいざフタを開けて現場の雰囲気を体感してみると「この招待試合はやって良かった」と考え直すようになった。まるで本大会のように〝最後の夏〟を終え、試合後に号泣する3年生部員たちの姿は感動的であり、心を打たれた。もし、あのシーンを見ても何も感じず、まだ「コロナ禍にこんなことをやっていてはとにかくダメなんだ」と一点張りで繰り返している〝自粛警察〟まがいの人がいるとしたら大変恐縮だが、筆者とは永遠に意見は平行線だろう。
参加した球児や監督はインタビューの最後にほぼ決まって「この試合を開催してくれた方々に心から感謝の気持ちでいっぱいです」との言葉で締めくくっていた。それらはいずれも決して社交辞令ではなく、嘘偽りのない心からの御礼の言葉であることは十分に感じ取れた。
何より、前出の指導者が実際に大会前半戦で交流試合を終え、次のように打ち明けていたことも印象的だった。
「実を言うと、甲子園に行く直前にこんな出来事があった。同じ学校で別の部活動に携わる教諭から『野球部はうらやましい。やっぱり特別扱いですね』と嫌味を言われ、すごくショックを受けていたのです。聞けば、ウチの部員の何人かもやっぱり他の運動部の子どもたちから同じようなことを言われ、何だか申し訳ない気持ちを抱いていたらしい。だから、この試合に行くことは正直葛藤を覚えたこともありましたよ。高野連も余計なお世話をしてくれたなんて、罰当たりな思いを抱いたことも一時ありました。
でもすぐに、この翌々日に同じ教諭が私に『つい、うらやましくなって誤解を招くようなことを言ってしまい、申し訳なかったです』と頭を下げてきた。それと同時に『私たちの分まで戦って来てください。ウチの部員も含め全校生徒がテレビを生観戦して応援することになっています』と言われましてね…。自然と涙があふれ出ましたよ。結果として残念ながら試合では負けてしまいましたが、我々野球部の試合を通じてウチの学校だけでなく全国に〝コロナとの戦いの中でもこうやってくじけず、前向きに生きていける〟というメッセージを発することはできたと思います」