大津市の中学2年の男子生徒(当時13歳)が昨年10月に自殺した事件で市の教育委員会と学校の対応の杜撰さと閉鎖性が問題になっている。内輪の人間であるはずの市長からさえ、「もうこんな教委はいらない」と言われる始末だ。
子どもの安全を守れない教委
教委と学校の対応のひどさは相当だ。「いじめのSOSを受け止められない学校に、いじめをなくすことなどできない」(産経新聞2012年7月19日)と不信を表明され、これからどのように信頼を取り戻すのか、先はまったく見えてこない。
学校は生徒の自殺後、全校生徒を対象に調査をしている。
「教室やトイレで繰り返し殴られていた」「ズボンをずらされていた」「昼食のパンを食べられていた」「ハチの死骸を食べさせられそうになっていた」「成績カードを破られていた」(上掲紙)
これだけの証言があっても、学校はいじめと自殺には因果関係がないとしていた。
昨年中に親から3回にわたって相談を受けながら、何の対応もしなかった警察も、今になって傷害事件として学校を捜索した。子どもの死という事態に何かしなくてはならなくなった警察のあわてぶりも相当だ。
教委と学校は、否定したその後に新しい事実を突き付けられ、対応を迫られている。アンケートで「自殺の練習をさせられていた」と書いた16人もの生徒の回答を「隠した」大津市教委では子どもたちの安全は守れない。
その後、全国各地で『いじめ事件』の公表が駆け込みのように相次いでいる。大津の事件が明るみにならなかったら公表されることはなかっただろう。学校や教委の隠ぺい体質は大津市だけの問題ではないのである。
1937年のいじめ
「油揚げ事件」
事件は東京にあった中学(旧制)1年生のクラスで起きた。
堀という生徒が、「あのね、浦川のこと、この頃、『油揚げ」っていうんだってさ。弁当のおかずが、毎日、きまって油揚げなんだって。おまけに煮てない生の油揚げなんだって」
「なんでも、今学期になってから、油揚げでなかった日は、四日ぐらいしかないってさ」
それを聞いたコぺル君は不愉快な思いがした。浦川の隣に座っている山口が毎日、弁当のおかずを盗み見て、仲間に報告していたのだ。
仲間の生徒たちは面白がって、さっそくそのあだ名を広めていった。浦川は、筆記用具を隠されたり、クラスの生徒から馬鹿にされたりすることも多かった。