現在おこなわれている2030年のエネルギー選択に関する議論で、すっぽり抜けていると思うものがある。エネルギーセキュリティ、いいかえれば「エネルギー安全保障」の視点である。
「多角化」によるリスク分散の重要性は変わらない
エネルギーを考えるうえでの要素といわれる3E(エネルギーセキュリティ、エコノミー、エコロジー)+S(セイフティ)をふまえての選択肢のはずなのだが、エネルギー安全保障は二の次になっているのではないだろうか。
準国産エネルギーと位置づけられる原子力発電が稼動しない状態では、エネルギー自給率がわずか4%となってしまうわが国。ふんだんに資源があるならば、どれをどの程度選ぼうが、よりどりみどり。お好みしだいで選択の余地もあろう。
(ダニエル・ヤーギン、日本経済新聞出版社)
しかし、省みれば、二度の石油ショックをへて石油依存からの脱却を決意し、乾いた雑巾をしぼるような努力で省エネを進め、再生可能エネルギーに投資もし、一方で原子力、石炭、天然ガスの比率を懸命に増やしてきた成果が、震災前の「ベストミックス」といわれる電源構成だったはず。
資源のないわが国のエネルギー安全保障、ひいては経済成長を支えたのは、こうした「多角化」によるリスク分散だった、といっても過言ではない。
その重要性は、震災で原子力事故を経験したあとも変わらない。いや、世界のエネルギー需要が爆発的に増え、同時に、領有権をめぐる周辺諸国との軋轢をはじめ、国際情勢が緊迫の度を強めるなか、いっそう増している。
いま、貴重なエネルギー・オプションの一つを容易に手放していいだろうか。本書を読んで、その懸念はさらに大きくなった。
「エネルギーを探し求める人類の雄大な冒険の旅」
原題『The Quest』に表されるように、本書は、「エネルギーを探し求める人類の雄大な冒険の旅」を描いている。「探求」という日本語では表しきれない、血みどろの闘いや騙し合い、駆け引きをともなう、現在進行形の冒険譚である。
そうまでして、世界のあらゆる国が資源を探し求めるのはなぜか。「エネルギー安全保障」(アメリカではしばしば「エネルギー独立」といわれる)を確固たるものにするためである。