【オモロイポイント(今回のあらすじ)】
- 大学生時代たこ焼き屋でバイト、300万個は作った。
- 1000人が参加する焼き手競争で全国1位
- 表彰されご褒美に、香港、NYでたこ焼き2時間の行列
- 就職でたこ焼き店に入社を悩んだが、テレビ局に入社テレビマンに
- 書店流通企業に転職し新規事業を次々と手掛ける
- 名古屋に戻り起業準備する為 IT企業に転職
- 現在おはぎを販売、大手がバックアップ FC展開がスタート
海外で美味しい食が話題になった時、実は日本では当たり前の食材、普通に食べられているものが、日本人ではない人たちによって発信されていることがあります。海外の方々が日本に来て「修行」をし、学び、自分で再現できるようになった後に、自国に持ち帰るだけでなく海外で展開をしていたりします。日本人が海外に持ち込む以上に隠れた日本発の美味しいものも多いと聞きます。
そんな中、業態として斜陽化している和菓子、その中でも、「あんこ」をメインに名古屋発で、日本の持つポテンシャルを世界に発信して行きたいと奮闘しているホリデイズ株式会社の落合社長に話を聞きました。
たこ焼き店でダメダメバイトから日本一、そこから世界へ
実家が建設会社の落合さん、祖父から見聞を広げるために他の業界を見てきなさいと、大学に入ってすぐにアルバイトを探し始めます。そこで目についたのが時給も高く面白そうだと思った、たこ焼き店でのアルバイト。働き始めてすぐに、店長さんから週末の繁忙期になると他のお店へ巡回してきて! と言われてラッキーと思ったそうですが、落合さんがお店にいると足手まとい、皿洗いをしていてあまりにも洗うのが遅すぎてお客さんが増えるとお皿が足りなくなるくらいになっていたそうです。
店長さんは、早く辞めて欲しいと思っていたそうですが、落合さんは楽しくて気づかなかったそうです。そんな状況だったために、なかなかたこ焼きを焼かせてもらえることもなく、店舗を回ってお店のオペレーション、接客等々を見比べてどうしたらお客さんが喜んでもらえるのかを研究していたそうです。
ようやく焼かせてもらえるようになると、目の前のお客さんは一期一会なんだ、と最後の晩餐になるかもしれない、とにかく美味しく最高のたこ焼き、喜んで欲しいとパフォーマンス付きで焼いたり、声かけを徹底することにこだわりいつしか「社長直下の名物アルバイト」となっていったそうです。当時のバイト先が全国に展開するたこ焼きチェーン、ある時、社員、アルバイト1000人でたこ焼き日本一(焼き方、スピード、パフォーマンスを採点)を競う大会が実施され、落合さんはバイトながら見事1位の栄冠を手にします。
その賞品がたこ焼きの海外進出。最初は香港の銅鑼湾(タイムズスクエア:CITY SUPER)で焼いてみたら長蛇の列。今度はアメリカ! 西海岸のロサンゼルス、続いてニュージャージーのMITSUWA、そしてNYのイーストヴィレッジの路上でいずれも長蛇の列で2時間待ちにもなったそうです。NYではヤンキースタジアムの関係者から出店依頼まで舞い込むようになりました。
テレビマンから書店流通、そして起業準備でIT企業へ
たこ焼きに夢中になりすぎて1年で300日はたこ焼きを焼いていた落合さん。バイト期間中でおそらく300万個は焼いたそうです。アルバイト先のたこ焼きチェーンで海外出店の店長として入社することを夢見ていましたが、出店は叶わないことに。もう大学も終わりの4回生の3月中旬になってようやく、どこかへ就職しよう! といろんな企業にたこ焼き話を面白おかしく話しているうちに地元名古屋のテレビ局に滑り込みで入社が決まり働き出すも、慣れない環境、下積みでかなり苦労をしたそうです。
報道部で挫折を味わいながら、ADの仕事に没頭をしていて入社から1年、ある事件報道で知り合いの殉職に関わる担当となった時、社会を追いかける立場ではなく、自分が価値創造できる立場に行かないといけない、撮る立場から撮られる立場にならないといけない、とそう考えました。同時にその頃、出版業界についてのニュース調査をしていると日本人の読書率の低下と出版業界の流通変革に興味を持ち、本って教育そのもの、次の未来を作る子供たちのためにも、この業界を盛り上げると世の中のためになる! 出版業界が面白い! ということで中途採用100倍の競争率の狭き門もこれもまたたこ焼きでのお話で、突破、落合さんは一芸入社でしたと笑います。
志だけは高く、
入社後8年を経過し出版業界で仕事をやりきった感が出ていた頃、たまたま海外に出張した時、米国で入ったカジュアルレストランでの老夫婦が本当に幸せそうに食事をするのを見て、自分がやろうとしてきたこと、やりたいことはこの老夫婦のような「笑顔」を作るようなことではないか? 自分の使命としてやるべきことは「人を良くすることで『食』となる」、自分はそこでやらないといけない、たこ焼きバイト時代に感じた感動を世界に発信していきたいそう決意したそうです。でも家族からは大反対、いきなり起業は無理と判断、地元名古屋に戻ってサラリーマンをしながら挑戦することに。そこに手を上げてもらったのが名古屋のIT企業、ここでも経験のないマーケティングの仕事をしながら、夜中12時を過ぎてから起業準備をするという毎日を送ったそうです。
起業への経緯 おはぎブランドOHAGI3をスタート
34歳での起業。ベンチャーは潰れる、飲食は続かないと家族に散々反対されながら、起業含みで会社員と二足のわらじの生活を約2年間経験、なかなか厳しい環境だったと落合さんは振り返ります。起業資金に関しては、高校時代に買った株を売却、350万円の元手から始めることに。
なにをやるか? 元手から考えると持ち帰り業態以外は難しい。チーズケーキ?、しっくりこない、洋菓子参入の人は多いがどうせなら和菓子で世界。洋菓子と和菓子マーケットは和菓子が大きいが辞めていくひとが多いこの斜陽化している中で頑張ればひとつ抜きん出ることができるのではないか?グローバルニッチで戦えるではないか?、たこ焼きで夢見た世界進出の実現が可能ではないか?
そんな仮説を立てながら、和菓子業界の方にヒアリングを開始すると、「おはぎなんて和菓子ではない」、「今の時代に和菓子なんて」という返事。
業界人達はこだわりが強すぎて、暮らしに寄り添うことが大事なのに手の込んだ和菓子を作ろうとばかりしている。自分は和菓子をReboot(再起動)する気概でやっていこうと。
シンプルにあんこが好きと答える人は多い、特に女性層、最近ではマッスルトレーニングをしている層にも。
IT業界でのマーケティング(SNSの活用)、出版業界で学んだ流通、そして食への思い、さらに海外に受け入れてもらえるようにと、ブランド名をアルファベットと数字で表現することに。
『おはぎ→OHAGI そこにさん→3』 → 『OHAGI3(おはぎさん)』
写真映えするきれいで可愛いくて、そして一口で食べられるたこ焼きサイズのおはぎ、そして無添加にこだわり、お月さまから定番おはぎ6種の名付けてているところも開発時点から練り込んだと落合さんは話します。
夕月(ゆうづき)暁月(あかつき)新月(しんげつ)宵月(よいづき)満月(まんげつ)半月(はんげつ)
という商品名も古き良き日本の美味しいおやつ文化の再定義だと。落合さんは、日本のおとぎ話の「桃太郎」のエンディングまでこのOHAGI3で変えていきたいとオモシロイことを考えています。
「桃太郎のラストエンデイングを変えてやろうと 桃太郎たちが鬼ヶ島に乗り込み、鬼を退治する。そのエンディングを、刀で切りかざすのではなく、鬼にもきびだんご、おはぎを、はい!って手渡し、一緒に食べながらめでたしめでたし、おはぎで世界平和を目指す世界観を」みんな仲良しに。
今の時代に合わせた商品作り 抹茶に合わせるだけが和菓子ではないはず。
そこから会社の理念を「くらしのすきまをあたためる」に設定。休日のような時間=くらしのすきまと捉えて「ひとりひとりが持つ自分に必要な時間にやすらぎの機会をつくること」としています。