2024年12月7日(土)

オモロイ社長、オモロイ会社

2021年3月4日

オモロいポイント(今回のあらすじ)

  • 小学校4年生には起業家になることを決意。恵まれた環境に感謝と反骨心
  • 経営とは世の中の仕組み作り。小学生の時に感じた、日本を世界に発信していく
  • 大学時代は睡眠3時間以下。1秒が大切、大事だと思いながら、6つの顔をもっていた。体育会陸上部、主席で卒業、学生団体、社団法人、NPOでの活動、留学も
  • 商社マン時代、いまに繋がる下積みも経験。6年間の商社マン時代、大きな2つの海外プロジェクトを担って結果を残す
  • 週末起業で準備し、会社初で副業を公認され、戦略戦術、ミッションを固めて起業へ。2017年7月7日
  • ツールのみで事業展開するのではなく「AI ✕ Communication」から戦略を考えプラットフォーマーを目指す
  • 新プロダクト「MiiTel Live」の発表と海外展開を標榜する2021年 キーワードは「育てる」

 今回は、社会課題の解消、起業の社会的意義を明確化し、「経営判断AIを創出するプラットフォームを創る」ことをゴールに決めて、「電話営業を可視化し、営業生産性を飛躍させるAI搭載型クラウドIP電話  MiiTel(ミーテル)」のサービス開始から約2年でユーザー数約1万5500人を突破している株式会社RevCommの會田武史社長に話を聞きました。

レブコムの皆さん

小学校4年で起業を決意 7月7日七夕の短冊に願いでなく決意表明を記載

 自身でひねくれていた小学生だったと語る會田さん。小学校3年までは街をキレイにする仕事に興味をもっていた。ゴミ収集の仕事がしたいと思っていたそうです。

 自我が目覚める頃である小学校4年になって「ビジネスで世の中の仕組み作りを」し、「日本を世界に発信すること」を決意。それを七夕に短冊に決意表明をしていました。この決意には大きく自身の恵まれた家庭環境で育ったことが影響していました。夏休みには家族での海外旅行、またある時には2カ月間海外のサマースクールに行かせてもらう。海外のみならずいろんな経験をさせてもらっていた會田さんですが、お爺さん、お父さんが経営者であり、その事業が文房具のメーカー、小学校の時クラスの1/3が「自社文房具」を使っていたことが良かったと話します。

 小学生には難しい、BtoB事業でなくコンシューマー向けの事業であったこと、経営とは世の中の仕組みづくりをすることと、日々使用する自社の文房具で理解できたとが大きかった。お父さんが日頃から言っていた「伝えるを支えるを事業に」。そのことと普段の手触り感ある文房具での理解浸透から経営の本質を自然に学べたことを、親からの贈り物として感謝しています。

 小さな頃から海外の人々とのたくさんの触れ合いから、日本のことがいかに理解されていないかについても子供時代から感じ、日本について世界へ発信していくこともを意識するようになりました。

 中学生の頃には、世の中の不平等、ビジネスの限界にも問題意識をもつようになった會田さん。社会科の教科書で見たアフリカの貧困と飢餓の子供の写真を見て平等ってないな、ビジネスが万能ではないことも感じていて、自身がビジネスマンになって、儲けたお金で寄付をして貧困をなくそうと、不平等をなくすために全額ユニセフに寄付することを思い描いていたそうです。

大学時代に6つの顔を持っていた
1秒の大切さを身にしみて感じ、人生で一番忙しかった

 6つの顔とは。

  1. 大学を首席で卒業。講義は常に一番前で聞いていた 
  2. 体育会陸上部。人生ではじめて人の背中を見て走った(スポーツではじめて挫折を味わう)
  3. 米国へ留学。2年から3年に掛けて留学し、インターンを経験。コンサルティングプロジェクトを実践。管理会計の考え方が行き届いていない事業者へ活かしてソーシャルインパクトを起こす
  4. 学生団体を設立。ソーシャルメディアをマーケティングに活用するプロジェクト起こす。米国で勉強、日本でも立ち上げ、マーケティングアイデアコンテストを実施し名だたる広告代理店がスポンサーにその開拓も自身でやっていた
  5. 一般社団法人を設立。社会人メンバーと雇用流動性に問題意識を持って社会人へ啓蒙活動をしていた
  6. NPO法人の設立。ビジネスアイデア+実行するという世界70カ国に広がっていたNPOを日本で設立。プロジェクトマネージャー(事務局)としてサポートしていた

 学生のレベルではない感じですが、なぜここまでやっていたか? それは当時、危機感しかなかったたからだそうです。人生はあまりにも短いと感じ、努力はベクトルが重要。経営者になるためのベクトルをブレずに実行していくには1分1秒がもったいない。やることがいっぱいだった。できるを増やすため、一つできたことがあっても、さらにできないがどんどん増えていく毎日、勉強も真剣、体育会陸上部も全ての取り組みに対して真剣にやっていました。

 6つの顔の中で、一般社団法人の取り組みにおいて、面白いエピソードを。「THINK・ACT」という名前の社団を社会人メンバーと立ち上げ、学生で参画していたのは會田さんただ一人。大企業のヤングプロフェッショナルへ気付きの場を提供し、行動を起こせる、促していくために活動、多方面の経営者や影響力のある方々にキーノートセッションで登壇してもらっていたそうです。

 ここでの出会いが、後々の會田さんの起業支援(出資や事業展開の相談など)にも大きく役立ったっていると話します。この時の事務局メンバーが全員なんらかの起業の道を選択して、自身たちが雇用の流動化の実践に至っているのも興味深いところ。

 大学時代、3時間以上寝た日はないと話す會田さん。忙しいとは言わなかったものの、実際は超バタバタしていた。3日の徹夜も当たり前だったと話します。

 無我夢中で走ったことによる多種多様な経験、人脈が、今になって大きな財産となり役に立っているそうです。学生時代、動きに動いていて本当に良かったと振り返ります。

商社で学んだ経験が糧となり 起業の道へ

 大学で起業を考えていたが、やりたいことが見えなかったので就職の道を選択。就職氷河期だったことがラッキーだったと語る會田さん。ほとんどの大手商社、外資金融、外資コンサル、有名スタートアップに採用内定を勝ち取っていたそうで、リクルートスーツ姿ではなく、グレーのストライプスーツで面接に乗り込んで、面接官に、将来起業すること、修行させてもらいに来ましたと言い放っていたそうです。型化されやすい日本の新卒就職面接においては異質で、面接は通過しやすかったそうです。

 そして商社(三菱商事)に入社を決めた理由が、人との繋がりを大切にしていること、社会的インパクト起こせること、この2つで社会人生活がスタート。で、どんな会社員生活だったか?

  • 学生時代の勢い、上から目線、周囲の大人、先輩に噛み付いて、入社後はボコボコにされた
  • 毎分レベルで怒られる毎日。生意気な人間だった、歩くカミソリと呼ばれ出る杭どころではなかった自分だった、そこでトコトン頭を打った

 会社組織の中で非効率であること、下積みの中で頑張って人を動かすこと、「その大切さ気づけて本当に良かった。学生時代のまま起業していたら、ただの世間知らずだった」と、振り返ります。会社員として頑張った成果を認められて3年で白羽の矢がたった。サウジアラビアでSUV自動車事業を立ち上げ、コンシューマー向けのローンチを経験。その次はウクライナ(政府向け)で、新しい会社の立ち上げをやっていき、大きな実績を残したそうです。

 そのウクライナでの休日、ふとソファーで本を読んでいる時、将来の自分を空想していました。「なんであの時に挑戦しなかったんだろう」って振り返る刹那があり、大きく真っ暗な黒い穴が心に空いている自分に気づいたそうです。自分は商社マンであり続けることで良いのか? 小学4年に決めた起業への道は? あの時挑戦しなかったことのリスクを先々感じていた。自分が自分でなくなることに恐怖し、起業への決心を固める。商社入社時3年で起業のはずが6年が経過していた。小学校4年の決意を実現することにベクトルを向けて自分と向き合うことに。


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