2012年7月29日、キッパと呼ばれる帽子を頭に載せたミット・ロムニーに姿があった。場所は他ならぬエルサレムである。ロムニーの夏の「電撃外遊」は選挙向けに巧妙に練られたものだった。大統領選挙での「電撃外遊」はオバマも行った。2008年夏にヨーロッパと中東を歴訪し、ドイツでは20万人にロックスターのように熱狂的に迎えられた。ロムニーの外遊は決して珍しい行為ではない。
政治家歴の短いロムニーの自慢は
「オリンピック委員長」?
ロンドンで「オリンピック」との繋がりをアピールしたのは、マサチューセッツ州知事を1期務めただけで政治家歴がほとんどないロムニー氏にとって、自慢のキャリアが「ソルトレイクシティ冬期オリンピック委員長」だからだ。ロムニーの肩書きは「元マサチューセッツ州知事」で、オリンピックでのキャリアは日本ではあまり大きく報じられていない。しかし、ロムニー自身はオリンピック委員長の経験を人生のハイライトと考えており、オリンピック経験を基礎に自伝を出しているほどだ。
「小さな政府」を標榜する共和党のリーダーとしては、「経営者の手腕でオリンピックの財政難を立て直した」ことのほうが、リベラルな州で、税金で給料を貰っていたことより誇りであろう。州知事1期しか政治家歴がないロムニーだが、この政治家歴の短さは彼の保守層向けの美談でもある。しかし、このやや手前味噌な「オリンピックといえばロムニー」というロンドン訪問は、米メディアでは辛口の評価に終わった。
ロムニーのイスラエル訪問と
ユダヤ系票の集票対策
イスラエル訪問も国内向けメッセージとしては同じだが、より集票戦略的な含意があった。オバマ大統領がイスラエルのイランとの緊張の狭間にいる機会を捉えて、イスラエル寄りの立場を示す外交の指導力と立場の鮮明化もあるが、ユダヤ系票は絶対数の少なさには見えない重要性があったからだ。いわば候補者自らによる「ユダヤ系アウトリーチ」だった。オバマが大統領就任後は、カイロを訪問しているが、イスラエルを訪問していないというのがロムニー陣営の着目点だった(しかし、2008年夏にオバマも大統領選挙候補者としてはイスラエルを訪問している)。
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1972年以降、民主党のユダヤ系得票は約70%で推移してきた。右記はワシントンに本部を置くリベラル系アドボカシー非営利組織J-Streetがまとめた表である。1980年だけ極端に少ないのは、イラン人質事件の対応でカーター大統領への不満が高まり、ネオコン系が共和党のレーガン支持に転向した時期だったこともあるが、独立系ジョン・バヤール・アンダーソンが一般投票で6%台を獲得し、ユダヤ系票も分散したことと無関係ではない。それでも共和党は39%で、民主党を上回ったわけではない。