オモロイ社長、オモロイ会社

2021年7月27日

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杉浦佳浩 (すぎうら・よしひろ)

代表世話人株式会社代表

三洋証券株式会社入社(昭和62年)。鹿児島支店にて勤務。地元中小企業、個人富裕層の開拓を実施。 日経平均最高値の2カ月前に退職。次に日本一給与が高いと噂の某電機メーカーに転職。埼玉県浦和にて、大手自動車メーカー、菓子メーカー、 部品メーカー等の主力工場を担当。 退職時は、職場全員から胴上げ。そして、某保険会社に20数年勤務後、平成26年末に退社。在社中は、営業職、マネジメント職を経験して、リテール営業推進、若手人財育成を中心に担当していた。 社外の活動も活発に行っていた。平成27年1月1日、代表世話人株式会社を設立。
同社代表取締役に就任。世話人業をスタート。

☆オモロイポイント(今回のあらすじ)
・19歳でクラファンを活用し海外ストリートファッション雑誌を販売開始
・20歳でフィリピンのスラム街でファッションショーを開始
・24歳でNPO・法人を設立、社会課題に向き合う
・大阪の老舗企業の支援を受け、倉庫に眠る高品質生地を利活用、サスティナブルへの挑戦
・アパレルのみならずアクセサリーも展開へ、地方活性化も目指して
・来年フィリピンでファッションスクール開校を目指して

西側愛弓さん

 国際的にも環境への負荷が大きいとされ、昨今ニュースで見聞きすることが多い、アパレル業界における大量製造、大量廃棄の問題。SDGs・ESG投資の視点でも解決していくべき課題として優先順位高く取り上げられています。そこに業界知識、経験もないところから、事業としてアパレルブランド、非営利活動としてNPO法人双方の立ち上げを24歳で行い、エシカルファッションを通じ、ストーリー性を大切にしながら、社会を良くして行きたいと活動しているcoxco(ココ)代表の西側愛弓さんに話を聞きました。

ファッション好きが高じてストリートファッション撮影に海外へ フィリピンのスラム街での活動

 1995年、神戸市生まれ、現在26歳の西側さん。小さな頃からファッション大好き、しかし、高校に入った頃は部活に精を出すことも、将来に目標もなく、大学入学にも興味もなかった、どちらかというと、現在の日々アグレッシブに活動をしている自分とはほど遠かったそうで、今に通じる人生の転機は高校2年の時だったと話します。

 大切な親友が家庭の事情で米国へ旅立った、そこにどうしても会いに行きたい、これまでお年玉で貯めていたお金を使い、猛反対だった親御さんを説得、最後は背中をお母さんに押してもっらって会いにいったそうです。自分で何かを決めて行動したこと、米国での見聞きしたこと、世界は広くて大きい、自分が想いを持って活動をすることの大切さを知り積極的な生き方へ変化したキッカケとなったそうです。

 大学入学後は、アルバイト→貯金→海外へを繰り返す生活。大学の長期休暇はほとんど海外へ、都合16カ国へ訪れました。これは自身ファッション好きから「挑戦」と位置づけ、海外の人々のストリートファッションの写真を撮り溜めて、ファッションを通して生きることを楽しむ「人」に焦点をあてた写真集を発刊することへチャレンジし、当時としては目新しいクラウドファンディングやECを活用して19歳から計3回発売を実行しました。

キューバに行った際の写真

 この写真をたくさんの人々に見てもらいたい一心で、知らないことだらけの中から写真集発売へと夢を形にすることで実現力を備えた西側さん。その次に行ったのが、ネット検索で「貧困 アジア」でした。

 海外での撮影中に、各国の路地裏で見かけた「貧困」。ボロボロの服、服さえ着ていない子どもたちを見かけて、ファッションを好きになれたことも、夢を持って挑戦できることも、全部当たり前じゃないことに気づいたそうです。この子どもたちに、何か自分ができることはないか。そこで検索して出てきた、写真の場所に運命を感じ私はここの村に行く! と決めてフィリピンを目指すことにします。

 フィリピンの貧困の村に住む子どもたち日本で流通している衣類を持っていき、ファッションショーを現地で行うこと。これをプロジェクトにし、西側さんが行ったことをまとめてみました。

・友人6名に協力を求めて仲間をつくりそのメンバーでフィリピンへ
・協賛金を募るために何百の会社にテレアポ活動を開始
・現地で活動しているNGOに協力を求める
・大学の教授の紹介で、現地体育館を借り、現地NGOの紹介で子どもたちとコネクションも得る
・プロジェクトメンバーでフィリピンを訪れ、子どもたちに着付け、ファッションショーの準備、そして開催へ

 ここでも、写真雑誌を作った時のように何もないところから挑戦し実行するところまでやりきります。できない理由はたくさんあった、できるように努力すると、意外にできている自分に気づいたと話します。

 2015年からはじめた、このフィリピンでのプロジェクト、5年間で計6回ファッションショーを開催しました。当初は6人でのスタートでしたが、最終の7回目には関わるメンバーも20人くらいになっていました。

 当時の開催については2019年の動画があります。

 高校時代、将来の人生に対してネガティブだった自分から180度転換し、

・「生きるって楽しい!」
・夢を持ち挑戦するようになったこと
・人は出会いによって人生が変わる

 この経験を通じて、このプロジェクト名を「DEAR ME」と名付けます。このプロジェクトを24歳でNPO化し、現在も活動しています。

1年10カ月の会社員生活はまさに自分のための修行

 就職活動の時期になり、自分の進路決める際に、

・ビジネスについて深く勉強したい
・社会、世の中の構造を理解したい

 この2点を実現できる会社で働きたいと思うようになります。しかも期間はたった1年間。厳しい環境で仕事に集中できる、そして今後どんな業界であったとしてもITが不要になることはない、自身もITに疎いその克服にもつなげようと、選んだ会社が、サイバーエージェント社、そこでも没頭したのが「DEAR ME」プロジェクト同様にテレアポ活動の営業職。入社前に決めていた1年で卒業することでしたが、西側さんはまだまだ納得がいかない、今辞めると耐えているだけ得るものもない、そこから10カ月後に自分で納得できる一定の成果を残すことができ、起業の道へ進みます。

 この会社員時代の生活は単に仕事だけでに没頭したのではなく大きな財産となっているのが、サイバーエージェント社時代の社内外の人脈、その時だけの「点」で終わることなく、繋がりある線となりたくさんの方々に応援してもらっていると話します。

法人設立は大好きなお祖父さんの誕生日、社名に込めた想い

 会社員を卒業した24歳で「DEAR ME」プロジェクトをNPO法人化、ここでは「Better Fashion,Better Future」をスロ ーガンに、ファッションを通して持続可能な社会づくりを目指ことを目的としています。

 学生時代から継続してきたファッションショーを開催しようとするも、コロナ禍の影響で昨年、今年と活動は休止中。自分たちでできることを考え、マスクや食料を贈る活動に変化させて実行しています。

 社会貢献がしたいと決めてNPOの設立を法人より先に行いつつ、NPO活動を継続するために営利活動としての法人設立も実行します。NPO設立の約5カ月後の2019年12月大好きなお祖父さんの誕生日に。会社経営をされていたお祖父さんが大好きだった西側さん、アパレル系の事業をされていた訳ではなかったのですが、グリーンやブルーなど、カラースーツを着こなすお洒落な方だったそうです。周囲の人々を笑顔にするからサンタになりたいという夢を語っていたお祖父さんに憧れ、その夢をファッションで、周りに幸せを届けることを実現するために亡くなったお祖父さんの誕生日に法人設立をこだわりました。

 同様に社名にも想いを込めている西側さん、「coxco」に決めたのは、co creation (共創) x communication (対話)、双方の「co」の頭2文字に掛け合わせる「×」を入れてcoxcoと決めます。

 より良い社会をみんなで作っいくための、コミュニケーションのきっかけになれたらということでcoxcoもスタートすることに。

服におけるサスティナブルとは、長く大切に着ること

 服という形をしたメディアで社会課題解決を目指すと事業をスタートさせた西側さん、ファストファッションにはストーリーがない、多くの衣類が使い捨てであるあり様に「愛着」という感覚も薄れているそこに問題意識を持ち、長く大切に着る服というコンセプトにファッションブランド(ブランド名もcoxco)を立ち上げていきます。使う素材を廃棄素材にするなど素材からこだわり、製造背景などストーリーを伝えてはじめています。

 立ち上げたファッションブランドにストーリーを持たせるそのために、シリーズ化を開始。

 スタートのテーマは「Vol.0廃棄衣料問題シリーズ」として、古着をケミカルリサイクルした生地(BRING)を使用したアイテム3種類準備、フーディー、ドレス、靴下を昨年リリース。活動の輪が広がりを見せると、テレビ、雑誌、新聞と多くのメディアにも掲載され、フーディー、ドレスについては完売、今後復刻も予定しています。

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