2024年4月20日(土)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年11月20日

 胡氏が08年5月の来日時に発表した日中共同声明には「国際社会が共に認める基本的かつ普遍的価値の一層の理解と追求のため緊密に協力する」とうたわれていたが、胡や温両氏は論争に破れた後、普遍的価値という言葉に触れなくなった。

 胡氏が2期目に政治体制改革に乗りだそうとする重要な局面で、江氏が党内の保守派に肩入れ。指導部の意気込みはそがれてしまった。

天安門事件
歴史的評価の見直し難しく

 08年12月には一党独裁体制の廃止を呼び掛けた作家、劉暁波氏=懲役11年の実刑判決を受けて服役中、10年にノーベル平和賞受賞=を拘束。11年初めに中東民主化の動きが中国へ波及しないよう厳戒態勢が敷かれたのも、政治的な引き締め基調の中で起きたことだ。

 党大会の開幕時には、李鵬氏や宋平氏ら多くの党長老が姿を見せた。李氏は1989年6月、民主化要求の市民・学生を武力弾圧した天安門事件の際の首相、宋氏は党組織部長であり、ともに「血の弾圧」を支持した。

 江氏は事件で失脚した趙紫陽氏の後任として党総書記となり、国家主席も兼任した。江氏ら長老たちがにらみをきかせている間は大胆な政治体制改革は難しい。天安門事件を「反革命暴乱」とした歴史的評価の見直しができないからだ。

習氏の親日ぶりと強硬姿勢

 「厚いもてなしを受けた。日本人の勤勉さが深く忘れがたい印象を残した」。習氏は09年12月の来日を前にした記者会見で、福建省長時代の01年に長崎や沖縄を訪問した時の印象を語った。

 浙江省党委書記時代には福井、静岡、栃木の各県との友好交流に取り組んでおり、「日本は大好き」と親日ぶりをアピールしたこともある。

 だが、今回の尖閣諸島(中国名・釣魚島)の問題については、そう簡単に譲歩するとは考えにくい。習氏は今年9月、訪中したパネッタ米国防長官との会談で、尖閣国有化について「茶番だ」「領土争いが激化した」と述べ、胡指導部の一員として日本を強く批判した。


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