本書では、19世紀後半のゴールドラッシュで中国からアメリカ西海岸への移住者が増えた当時から、アジア人排斥の動きがあった点も指摘する。勤勉で働き者の中国人の鉱山労働者が増えることに白人たちは恐れを抱いた。19世紀後半には銃をもった白人たちがチャイナタウンを襲撃して中国人たちを虐殺した例があったという。アメリカはもともと、アジア人を差別する国だったのだ。
1922年には、アメリカの最高裁が、日本人にはアメリカ国籍を認めない判決も下している。真珠湾攻撃を受けた直後から、アメリカ政府は日系人は日本軍と通じている恐れがあるとしてアメリカ軍への入隊を認めていなかった。しかし、43年に入ってルーズベルト大統領は方針を変え、日系人だけからなる部隊の編成に動いた。国への忠誠を行動で示しまっとうなアメリカ国民として認められたい。そんな切実な思いから多くの日系二世が軍に志願した。
そこで誕生したのがハワイの日系二世で構成した第100歩兵大隊であり、アメリカ西海岸の日系二世を中心とした第442連隊戦闘部隊だった。第100歩兵大隊はその後、第442連隊戦闘部隊に編入される。そして、日系兵はイタリヤやフランスに送り込まれ、ドイツ軍とたたかった。しかも、凄惨をきわめる戦場にばかり投入され、多数の負傷者や死者を出しながら愚直に戦い続けた。
わが身も顧みず戦うも
ドイツとの国境が近いフランスのビフォンテーヌの森では、ドイツ軍に包囲されたテキサス部隊を助け出すために、日系兵は死闘を繰り広げた。200人超のテキサス兵を助けるために約800人が死傷した。
日系兵の活躍は実は戦中戦後もアメリカでは正当に評価されてこなかった。日本人に対する差別意識があったのだ。442連隊の日系兵で名誉勲章を叙勲されたのは当初、たった1人しかいなかった。仲間を助けるために、敵が投げ込んできた手榴弾に自らの体を投げ出して戦死したサダオ・ムネノリだ。勲章は46年3月13日に、彼の母親に授与されたという。
50年以上たった2000年6月21日に、442連隊の20人に対し名誉勲章が与えられた。アメリカ軍で最高の勲章が442連隊だけで計21人に与えられたことになる。名誉勲章の数の多さについて本書は次のように説明する。
Of the roughly 16 million Americans who served in World War II, only 473 have received Medals of Honor. But 21 of those medal recipients came from the ranks of the 18,000 men who ultimately served in the 442nd. So in the end, the 442nd, representing just over 0.11 percent of the U.S. military force, earned 4.4 percent of the Medals of Honor.
「第二次世界大戦で兵役についた約1600万人のアメリカ人のうち、名誉勲章を与えられたのはわずか473人にすぎない。これに対し、最終的に442連隊として戦った1万8000人の仲間たちから21人が叙勲された。つまり、442連隊はアメリカ軍の0.11%しか占めないのに、名誉勲章の4.4%を獲得したのだ」
本書の次の一節も心に残った。
But do not forget this. As American as they were, in some ways and to varying degrees, they were also proudly Japanese. As they stood up and ran into the fire, many of them carried with them values that their immigrant parents had taught them―not just the samurai's code of Bushido, but a host of related beliefs and attitudes―giri and ninjo and gaman among them.
「この点は忘れないでほしい。ひとそれぞれ流儀や程度の違いこそあれ、日系兵たちはアメリカ人であると当時に、誇るべき日本人でもあった。日系兵たちが立ち上がり戦火の中に飛び込んでいくとき、若者たちの胸には両親から受け継いだ価値観があった。侍の武士道だけではなく、さまざまな信念や人生観であり、義理や人情、我慢といった考えだった」
しかし、第二次世界大戦が終わっても、日系人たちへの差別は続いた。強制収容所から西海岸に戻った日系人の多くは、残してきた私財が盗まれている現実に直面する。地元住民たちも「日本人は出ていけ」と、日系人を迫害した。アメリカ社会による日本人への差別を目の当たりにしたトルーマン大統領は手紙のなかでこう書いたという。「(日系人に対する)とんでもない仕打ちをみると、多くのアメリカ人はナチにつながる性向を持っていると思ってしまうほどだ」。
本コラムの筆者の個人的な感想としては、日本人として知っておくべきことを知らなかった自分の不明を深く恥じた。アメリカ人ならなおさら知らない事実ばかりだろう。より多くのアメリカ人が本書に接し、第二次世界大戦で自由と平和のために戦った日本人の功績を知ってもらいたい。また、アメリカ社会の奥底にある人種差別の歴史にも目を向け、黒人差別だけでなくアジア人差別の問題にもアメリカ社会が向き合うことを願う。