10月下旬、日本海で合同演習を行った中国海軍とロシア海軍の艦艇合計10隻が、津軽海峡から太平洋に出て、伊豆諸島沖を経由して鹿児島県・大隅海峡から東シナ海に入った。これまで、両国海軍それぞれが日本を周航することはあったが、合同で巡航を行ったのは初めてである。
近年深まっている中露の軍事協力の実態をふまえれば、このような動きは驚くべきことではなく、これからも繰り返されていくであろう。以下では、西太平洋における中露の軍事協力がどのように広がってきたのかを振り返り、日本が取るべき対応について考察する。
冷戦前後に揺れ動く中露関係
冷戦時代、当初協力関係にあった中国とソ連は次第に敵対するようになり、国境線沿いで武力衝突を繰り返すようになった。このため、1970年代以降、中国は米国と「暗黙の同盟」を結び、ソ連を牽制する道を選んだ。一方、ソ連はウラジオストクを拠点とする太平洋海艦隊の増強を進めていたため、日米は対馬、津軽、宗谷の3海峡を封鎖できる能力を高め、ソ連の艦隊を日本海に封じ込める戦略を取った。
このため、欧州で戦端を開けば、ソ連は極東でも日米そして中国とも戦わなければならなかった。ソ連はこの二正面作戦に備えるだけの経済力を維持できず、冷戦は熱戦になることなく終結したのである。
冷戦の終結により、中国とソ連(後にロシア)の敵対関係は緩和され、天安門事件後に西側諸国から経済制裁を受けた中国はロシア製の武器を購入し、軍事力の近代化を図るようになった。しかし、中露はやがて中国によるロシア製武器の模倣やロシア産原油の価格をめぐって対立するようになり、両者の軍事協力は2005年をピークに停滞するようになった。
中国にロシアの優位性を見せつけることも
その後、ロシアは中国の軍事力増強への懸念を強めるようになり、08年に中国艦隊が津軽海峡を初めて通航したことはロシア軍には強い衝撃を与えたという。12年に中露は「海上連合(Joint Sea)」という年次海軍演習を開始したが、ロシア側には自らの優位性を中国側に見せつけるという意図もあったと考えられている。