実在しない専門家の出現
つい最近では、中国語メディアによって、日本国内の研究領域に関連したディスインフォメーションが国外で発信されていた。米国ニューヨークを拠点とする中国語のニュースサイト・多維新聞が、21年10月2日、ある中国人特派員による記事「ハトはタカ派になる、岸田文雄の首相就任は北京にとって祝福か呪いか《鸽派变鹰派 岸田文雄上位对北京是福是祸》」を掲載した。同記事の中では、日本に実在する研究機関の研究員とされる人物による岸田政権を評価する内容のインタビューが掲載されたが、この研究員は実在しない人物だったのである。台湾メディアの報道によって明らかになった。
その後、多維新聞は、同記事に編集者の注を付けたうえで、記事の中に登場した日本人研究者が所属するとした日本国内の研究機関名は翻訳ミスであり、調査の結果、私立の学術機関であったとする釈明記事を掲載し、問題となった記事を削除した。しかし、釈明記事にあるような学術機関も、日本国内に存在しない。
日本が欧米と比較して海外からのディスインフォメーション・キャンペーンの影響を受けにくいとされる理由はさまざまで、日本語の特殊性が言語的障壁となっていることや、欧米と比較して社会や組織が閉鎖的であること、国内の伝統的メディアの支配力を背景とした外国メディアのプレゼンスの低さなどが、国内外の専門家によって指摘されている。
中国によるディスインフォメーション・キャンペーン
「研究者」の名を語ったディスインフォメーションは、欧米でも問題となってきた。新型コロナウイルスの起源をめぐり、米中が激しく対立する中、中国は、責任を米国に転嫁するためのさまざまな情報を発信している。その中で、CGTN、人民日報、チャイナ・デイリー、環球時報などの中国国営・共産党系メディアが、実在しないスイスの生物学者による見解を引用し、ウイルスの起源を調査する世界保健機関(WHO)の取り組みが米国に利用されると警告した。
その後、在中国スイス大使館が公式Twitterなどでこのスイス人生物学者の存在を否定し、中国メディアに対して記事の削除、訂正を求めたことで、この情報が中国によるディスインフォメーションであることが明らかになった。その後、一部の中国メディアは関連記事を削除している。
中国などの権威主義国家が欧米などで展開するディスインフォメーション・キャンペーンについては、米国をはじめ欧州諸国で多くの議論を巻き起こしてきた。中国が展開するディスインフォメーション・キャンペーンは、自らのシステムや政策の正統性をアピールする内容であることが多く、世界で中国に対する支持を増やそうとする意図に基づいた活動であると考えられる。
ウイルスの起源をめぐって米国批判を前面に出す中国のキャンペーンは、ウイルスの発生源についての調査を求められる国際的な動きや、パンデミックの責任を問われることへの中国の不安の現れであると見られる。
「偽研究者」による発信
そして現在、注目を集めているのが「偽研究者」という新しい形のディスインフォメーションなのである。これは、発信者側が自らに有利な状況を作り出すべく、研究という客観的で信頼性の高い領域・立場を利用し、自らに有利な発言を研究者にさせることで、主張の裏付けを図ったものだと考えられる。
問題は、自らに有利な発言をしてくれる研究者がいなければ、研究者自体を捏造するという手法である。こうした動きは、中国国営・共産党系メディアが報道を行なっている場合はある程度の組織的な動きである可能性があり、また個人の記者などが個人的にあるいは感情的に行なっている可能性も考えられるが、いずれの場合も、ディスインフォメーションの被害者側にあたる研究機関や職員(研究者)個人の信頼を損ね、評価を下げる危険を孕んでいる。