2022年10月7日(金)

CHANGE CHINA

2022年1月21日

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城山英巳 (しろやま・ひでみ)

北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院 教授

慶應義塾大学文学部卒業後、時事通信社に入社。計10年の北京特派員を経て2020年から現職。ボーン・上田記念国際記者賞受賞。早稲田大学大学院社会科学研究科博士後期課程修了、博士(社会科学)。著書に『天安門ファイル』(中央公論新社)、『マオとミカド』(白水社)など多数。

 
浦 志強(うら・しきょう)
1965年河北省生まれ。天津・南開大学歴史学部卒業。中国政法大学大学院生だった89年、民主化運動に参加、「言論の自由」を訴えた。97年、弁護士に就いて以降、ビジネス案件を手掛ける一方、『中国農民調査』名誉棄損訴訟など「言論の自由」に関する数々の訴訟代理人を務めた。2014年5月拘束され、自身のインターネット上での言論をめぐり起訴された。15年12月、有罪判決を受け弁護士資格を剥奪された。

 習近平国家主席の治世となった中国で、当局による言論の検閲と統制、それを恐れる人々の自己規制がはびこる中、一度有罪判決を受けた「彼」はなぜ今も発信を続けるのか。

 「彼」とは、人権派弁護士として言論統制の問題点を果敢に法廷で提起した浦志強氏のことである。2014年に拘束、逮捕され、15年に起訴、有罪判決を受け弁護士資格を剝奪されたが、今も多くの弁護士を擁する法律事務所を運営し、一定の影響力を維持している。

 私の2度目の北京特派員(11年~16年)時代は、浦氏の存在によって、習体制下で萎縮し続ける中国社会に一縷の希望を見出し、「中国は変わるのではないか」という淡い期待を持ち続けた日々と言っても過言ではない。しかし、それは浦氏の逮捕によって打ちのめされた。

 習体制発足前の数年間、中国のネット空間では中国版ツイッター「微博(ウェイボ)」を中心に、政府が管理できる空間と、改革派の知識人らが社会問題などに対して議論を起こす民間の空間が、「陣地」を奪い合うような対峙状態が続いた。

 その中で、浦氏は、共産党が「敏感」な問題としてタブー視している1989年の天安門事件、新疆ウイグル・チベットなどの少数民族、人権、毛沢東ら共産党指導者などの問題をめぐり、微博上での発信を通じて議論を巻き起こそうとした。

 共産党が主導する言論統制とプロパガンダにより、国民に真実は伝わらない。その中で浦氏は敢えてタブーに触れ、「何が事実で、現実なのか」を発信して議論を起こすことで、共産党にとっての「異論」が語れる「境界線」を動かし、民間側の言論空間を広げようと挑戦し続けた。

 2013年11月、浦氏は絶頂だった。共産党第18期中央委員会第3回全体会議(3中全会)で、習指導部が、毛沢東時代の1957年から続く「労働教養(労教)」制度の廃止を宣言したからだ。逮捕など司法手続きなしに長期間自由を奪い、「中国人権侵害の象徴」と内外で批判された労教制度の廃止は、訴訟で制度の問題点を突いた浦氏の「勇気」と「戦略」を抜きにして語れない。

 「第二の文化大革命」。こう呼ばれた恐怖政治を展開した薄熙来がトップの重慶市では、政府批判をネットでつぶやいた市民が次々と労教制度で自由を失った。浦氏はこれら言論被害者ら十数人の代理人を引き受けた。私は2012年10月、労教処分撤回を求めた当時25歳の元若手農村幹部・任建宇氏の訴訟を取材するため浦氏と一緒に重慶に向かった。法廷で浦氏はこう主張した。

 「悪い制度に対し、われわれはもう我慢することはできないんだ」

 薄熙来・重慶市共産党委員会書記はこの年3月に失脚。巨額収賄や職権乱用の容疑で刑事責任を追及されたことで「政治の風向き」が完全に変わった。「重慶で集中的に訴訟を起こせば、労教制度に『風穴』を開けられるのではないか」。これが浦氏の「戦略」だった。国営メディアの取材も受け、薄熙来に批判的なメディアを巻き込んで社会にうねりを上げ、勝訴を重ねた。

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