1月末に就任した中米ホンジュラス初の女性大統領、シオマラ・カストロ氏は選挙のとき、台湾と断交し中国と国交を樹立すると公言していたが、早々に外相がこれを否定し、台湾の数少ない拠点は当面、安泰となった。
現在台湾を国と認めているのはバチカン市国を含め世界で14カ国しかない。うち7カ国は南太平洋やアフリカ沖の小さな島国で、主軸は中南米だ。と言っても、南米はパラグアイ1国、中米はグアテマラ、ホンジュラスと、81年に英国から独立した小国ベリーズ、そしてカリブに浮かぶ島国、ハイチである。
ここでホンジュラスが中国に寝返ってしまえば、もはや中米は「拠点」とは呼べなくなる。中国の外交、援助攻勢を前に「風前の灯」感が強まってしまう。
中国と台湾の国交レースが始まったのは1970年代初頭だ。71年の米ニクソン政権による対中接近、毛沢東率いる中国の国連復帰と中華民国(台湾)の国連脱退を機に、78年までに日本を含めた80カ国近くが雪崩を打つように中国と国交を結んだ。
三宅康之・関西学院大教授の論文「台湾の国交樹立外交の軌跡」によれば、この時期、台湾の承認国は22カ国で底を打ち、その後、上下を繰り返す。李登輝総統時代の98~2000年にかけて、台湾の攻勢が最も華々しく、外交関係にある国は95年、30カ国に達した。
ところが、アフリカにおける台湾の牙城だった南アフリカは98年、中国と国交を結ぶ。マンデラ政権の与党、アフリカ民族会議が反アパルトヘイト運動の中、長く中国から支援されてきたためだ。その後もアフリカで大規模な援助外交を繰り広げる中国は、03年にリベリア、05年にセネガル、06年にチャド、07年にマラウイと相次いでアフリカ諸国との国交を台湾から奪った。
援助攻勢で小国をつなぎ留めておく意味はあるのか、という議論も台湾にはあり、08~16年の馬英九総統時代には「外交休兵」が提起され、このころ、レースはさして進まなかった。だが、16年に始まる蔡英文政権下、中国の習近平体制からの圧力が強まり、台湾は17年にパナマを、18年にはドミニカ、エルサルバドルまで奪われる。そして昨年12月にはニカラグアも台湾から中国に乗り換えた。
そんな逆風の中、ホンジュラスが台湾を維持することに目新しさがあるとすれば、米国の存在だろう。
従来、例えば98年に南アフリカが台湾を切る際、米クリントン政権からは特段の外交圧力はなかった。米国の影響力が最も強い中米の国で「絶対に台湾とは断交しない」と歴代大統領が公約してきたエルサルバドルが18年に台湾から離れたときも、米国の言い分は重視されなかった。
一方、22年1月のホンジュラス大統領の就任式にはバイデン政権のハリス副大統領が列席し、その存在感をアピールした。両国は中米から米国への移民を抑えるプロジェクトで合意し、米国からの投資促進も約束されている。ホンジュラスと米国との緊密さに中台問題は本来関係がないが、ここに来て、米国と中国の対立が微妙に影響し始めている。「中南米における中国の影響を抑えるため」といった露骨なことをハリス氏は言わない。だが、ホンジュラスとしてはそれなりのそんたくを働かせたのか、早々に「台湾維持」を発表した。中台の外交レースに米国が微妙に絡むケースと言えそうだ。