2024年12月22日(日)

都市vs地方 

2022年3月29日

 高市早苗自民党政調会長が2022年2月16日に下記のツイートをした。

 「今日、私が本部長を務める自民党社会機能移転分散型国づくり推進本部で、大災害やテロに備え、第2首都圏構想の議論をスタートしました。 過去の首都移転の議論とは違い、京都御所や日銀が在る関西圏で、一時的に首都機能をバックアップできるような備えを検討します。」

(Akira Miura/gettyimages)

 こうした首都機能移転に関わる議論は、昭和から平成にかけて長い間国会で行われてきた。特に、平成時代の前半には、具体的に候補地も選定され、首都機能移転が実現するかに思われる時期もあった。「国会等の移転ホームページ」を基にその概要を以下にまとめてみよう。

 高度経済成長を通じて都市圏としての東京の急拡大が続き、過密とそれに伴う弊害が問題視されるようになり、その解消が求められるようになった。政府も、「第3次全国総合開発計画」(1977年)、「第4次全国総合開発計画」(87年)などで、それを国土政策上の重要な課題として位置付けた。

 さらに、90年には「国会等の移転に関する決議」において、東京一極集中の排除を目指して国会および政府機能の移転を行うべきとした。こうした議論において、首都機能移転の目的は、主として、①国政全般の改革の促進、②東京一極集中の是正、③災害対応力の強化の3点であるとされた。

一時は「移転を実施すべし」とのまとめも

 92年には、「国会等の移転に関する法律」(移転法)が制定され、政府に国会等移転調査会が設置された。この調査会は、首都機能移転の意義、移転先候補地の選定基準等の基本的事項を明らかにした。

 96年には、移転法の一部改正によって、国会をはじめとした移転先候補地の選定などを任務とする国会等移転審議会が新たに設置された。この審議会が99年に答申で、候補地として、栃木・福島地域、岐阜・愛知地域を挙げ、三重・畿央地域の可能性も指摘した。

 その後、2003年に国会等の移転に関する特別委員会の中間報告が行われ、そこでは「過去12年間にわたる論議を通じ、一部会派及び一部の委員には移転に慎重な意見があったものの、委員会の大半の意見は終始一貫して国会等の移転の意義・重要性を強く訴え、「移転を実施すべし」とするものであった」としながらも、移転先については明言せず、「今後、本委員会の中間報告を踏まえつつ、両院の密接な連携の下に検討を進め結論を得られるよう要請する」ことが述べられた。しかし、首都機能移転の具体的な動きはここで止まってしまい、現在に至っている。


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