フリーランスを貫く
原の存在と、その提案の斬新さと仕事の重要さが世の中で注目されるようになってくると、それまでは自分で動かさないと動かなかった扉が、原を求めて開いてくる。それをどう判断するかで、方向が変わってくる。そんな分かれ道のひとつは、フリーで仕事をしてきた平凡出版から正式に社員にならないかと誘われた時。
「悩みましたね。おそろしく生真面目に考えました。父もサラリーマンじゃなかったので、安定した収入や封筒が立つとまでいわれたボーナスにも魅かれた。でも、社員として会社組織の歯車のひとつになったら、自分がファッションだけと言ってもそんなわがままは言えなくなるんじゃないか。総務とか経理とか事務関係はできないし。考えた末に、結局、社員にならないことにしました」
もうひとつは、20代の終わりころ、高級ブランドを輸入販売している会社の社長からもたらされた夢のような依頼だった。パリコレの中でも原の心を深く捉えていたブランド「クロエ」を本格的に日本に輸入するために、クロエ側に日本人の考えや希望を伝えてほしいという。デザイナーのアトリエに行って制作過程を見守りながら意見を言う。その仕事のために、パリの住居を用意し、不自由のない生活も保障するという。
「もし1年前だったら、全部捨てて行きますと即答していたと思う。あるいはもし10年後だったら、行ったでしょうね。3年ぐらいパリに滞在しても仕事に戻ることができたと思うから。でもその頃は、ちょうど自分の仕事が見えてきて確立できそうだなという時期だった。そこまでの道を捨てる覚悟ができなかったので、断念しました」
社員にならないことで安定した収入や生活は手放したが、原の仕事は雑誌から広告媒体、映画の衣装のスタイリング、航空会社の制服のプロデュースなどに広がり、その広がりの中から自分の本当に求めるものは雑誌のファッションページでの提案なのだと見極めて絞ることができた。パリでの暮らしに心が走り出しそうな誘いと現実の状況との狭間で、パリには行かないと決めたことで、自分が歩き始めた道に一心不乱にエネルギーを注ぎ込むことができた。
「本当に真面目に仕事に取り組んできたのは、あの時にあちらを選ばなかったのだから、こちらを精一杯しなければという気持ちからなのかもしれません。あちらを選択しておけばよかったという後悔を絶対したくなかったから」
目の前に現れた誘いやチャンスを断るとき、なれなかった、行けなかったと思うのではなく、原の場合、とことん考えとことん悩んだ末、自ら社員にならないパリに行かないと決断したのである。決断できなかった結果ではなく、明確に決断してとどまる。その潔さが、未踏の道をさらに前に進むエネルギー源だったような気がする。