ロシアによるウクライナ侵攻について、中南米の反応はまちまちだが、概して静かだ。ロシアや中国と強い関係のあるキューバやベネズエラがロシアを強く非難しないのは当然としても、他の国々からも厳しい声は聞かれない。
理由の一つは、ウクライナやロシアとの心理的な距離の遠さだ。実際、地理的な距離は日本とさほど変わらないが、「また遠くで大国が何かやっている」という意識が一般には強い。実際、いま筆者が滞在しているチリ南部のパタゴニア地域で、40~50人と話してみたが、彼らからウクライナの話題が出てくることはまずなかった。中には、ウクライナ大統領の家系に詳しい人もいたが。
チリ共産党が2月24日にこんな宣言を発表した。「紛争の解決策としての戦争を非難する。ウクライナ紛争については、各国が自国の責任を引き受けねばならない。第一にロシアだ。しかし同時に、米国も北大西洋条約機構(NATO)も、その拡大主義、経済利権、地政学的理由からウクライナを武装化し、ロシアを刺激した結果、戦争の危機を招いた責任を自覚すべきだ」。
一国の左派の言葉にすぎないが、チリの、ひいては中南米の庶民の反応を代弁している。アフガニスタン紛争やイラク戦争と同じく、「どうせまたグリンゴ(米国人の蔑称)が何かたくらんでいるんだろう」と、大国のふるまいを冷たい目で傍観する態度だ。
南米の戦争と言えば、英国とのフォークランド紛争や各国間の国境紛争、コロンビアなどでのゲリラ戦が身近だが、大国の紛争は気分として遠いままだ。第一次・第二次世界大戦にも直接関わらず、むしろ需要増で一次産品や食料輸出が増えた国も少なくない。「大戦の危機」を代々肌で感じてこなかった。
もう一つは、社会が騒がないことだ。日々自給自足をどう高めるかなど、身の回りの、地元のことに目を向けている庶民にとっては国内政治さえも遠い。首都で国会が何かを決めたとしても、自分の身にふりかかるまでは、あくまでも「政治の話」として矮小化しがちだ。そもそも長年の悪政から、政治が信用されていない。メディアも同じく信頼されていない。庶民がさほど反応していない以上、政治関係者も動かない。
人が冷めているわけではない。戦争を否定する人が大半である。むしろ、米国にしらけているというのが正しい。長年、中南米に介入してきた米国を見てきた層にとって、悪のロシアに対抗し米国側につくというポーズは、立派な態度とは思えないのだ。
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