果たして、韓国がゼレンスキー大統領に伝えた「現実的な困難」とは何を意味するのだろうか。それは、国会でZOOMが使えないことでも、安くて美味しいズワイガニが食べられて国民が喜んでいることでも、もちろんない。
韓国人に染み付く「恐露病」と事大主義
筆者は「現実的な困難」の正体について、韓国人のDNAレベルまで染み付いた恐露病と事大主義のことではないかと指摘したい。恐露病とは、明治時代の日本で流行った言葉で、ロシアに対する恐怖にとらわれ、いつかロシアが攻めてくるのではないかという過剰な対外危機意識を指す。また、事大主義とは、自らの信念を持たず、支配的な勢力や風潮に迎合して自己保身を図る考え方を指す。
朝鮮半島における事大主義は、中国を中心とする華夷秩序の側面で語れることが多いが、近代以降はそこに日本とロシアが加わった。事大主義が朝鮮半島におけるテーゼあることを理解していただくために、あえて北朝鮮の公式ウェブサイト「わが民族同士」に掲載された「事大主義と外部勢力依存がもたらすのは」の内容を見てみたい。
「事大主義と外部勢力依存が亡国の路と言えるのは、長い民族受難の歴史を通じて朝鮮民族が痛感した深刻な教訓からである。わが国が日本帝国主義に占領されたものの結局は自力に頼らず、大国を崇めたてまつる事大主義によるものであった。
朝鮮封建王朝末期の腐敗しきった封建支配層は、一身の栄達とヘゲモニー争いに目が眩み、親日派、親露派、親清派に分かれて事大主義と外部勢力依存に明け暮れていた。結局わが国は帝国主義列強の覇権争いの角逐の場となり、しまいには日本帝国主義に国を奪われるになった」(わが民族同士)
北朝鮮の歴史観は、いかがだっただろうか? 私は正鵠を射ていると思うし、多くの韓国人が酒を飲むと本音で語り出す、朝鮮民族の悲哀そのままを記しているといえる。
近代以降の朝鮮半島の歴史を大雑把に振り返ると、日本が日清戦争(1894年)に勝利して、朝鮮半島から清の影響力を排除すると、朝鮮では親露派が台頭しはじめ、それを警戒した日本が明成王后を殺害(85年)すると、翌年から97年まで国王の高宗がソウルのロシア公館に逃げ込む異常事態となり、朝鮮半島の権益を争う日露戦争(1904~05年)が勃発し、その結果朝鮮は日本に併合(10年)されたという流れになる。
つまり、韓国にとってロシアは、自国を侵略してくるかもしれない恐怖の対象であると同時に、自国を保護してくれる事大主義の対象でもあったのだ。この地政学的に基づく心理はそう変わるものではない。
ひるがえって、現在の韓国を取り巻く国際情勢に目を転じてみると、米韓同盟という基本関係がありながら、一方では中国という大国にも最大限の配慮をしなければならない状況に置かれている。拙稿「北京五輪で韓国が中国に噛み付いた韓服問題の真実」でも触れたが、韓国は2016年の高高度防衛ミサイル(THAAD)問題で中国から手痛い仕打ちを受けた。
そこにウクライナ情勢が降りかかり、韓国はロシアに対する態度を明確にしなければならない事態になった。この状況は清とロシア、日本が朝鮮半島のステークホルダーであった近代と相似している。米中が経済戦争で覇権を争い、北朝鮮問題で朝鮮半島が火薬庫となっている状況の中で、韓国は新たにステークホルダーとして登場した大国ロシアへの対応に困惑しているということが、ことの真相ではないのだろうか。