2022年12月4日(日)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2022年8月30日

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冷泉彰彦 (れいぜい・あきひこ)

作家・ジャーナリスト

ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。近著に『「反米」日本の正体』(文春新書)など。メールマガジンJMM、Newsweek日本版公式ブログ連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

要人警護の任務独特の難しさ

 まず大前提として、要人警護というのは非常に難しい職務だということだ。まず、要人を守り切ること、また攻撃を未然に防ぐことが任務であることから、「何も起きないこと」が当たり前の成果として期待されている。つまり100点満点で「当然」という目標が大前提としてある。その一方で、任務を無事に遂行し「100点を取っても感謝や評価がされない」というのも厳然たる事実だ。

 これに加えて、警護の実施には「不便」が伴う、交通規制、立ち入り規制、必要に応じての手荷物検査などには、住民は喜んで協力してはくれない。それは、住民が警察に敵対しているからではない。今回の事件はともかく、日本が極めて高度な治安を実現できており、住民が規制の必要を100%実感していないからであり、要するに警察の活動が成果を上げているからである。

 だが、そう考えても住民が「不便」に対して抵抗感を持てば、それは警護者には負荷になる。その負荷に耐えねばならない。

 同じようなパラドックスは、警護対象者にもある。仮に今回の事件で、奇跡的に機転を効かせた警護官が、1発目の銃声に反応して安倍氏に体当たりして、演台から押し倒し、被弾を避けることができたとする。その場合に、仮に安倍氏が負傷したとすると、安倍氏は理解しても、支持者や派閥の政治家などから、他でもない安倍氏を負傷させたとして、その奇跡を演じた警護官への批判が生じるかもしれない。

 これは極端な例だが、そもそも聴衆の中へ入って一人でも多くの握手をしたい政治家と、それを警戒する警護官との間には、表面的な利害不一致が生じる。

 申し上げたいのは、このようなパラドックス、つまり国民に憎まれ、場合によっては警護対象の政治家からも憎まれつつ、「何も起きない」ことを至上命題として日夜奮闘し、その結果「何も起きなかった」としても誰も褒めてくれない、そのような任務の根本にある「困難」のことである。そしてこの困難なパラドックスというのは、避けようのない性質のものだ。

日本の官僚組織では難しい思考手法

 もう一つ、具体的な問題として、警護というのは「想定外の事態」への対処を含むということだ。勿論、攻撃がないに越したことはない。また仮に攻撃があったとしても、想定されているシナリオの範囲内であって、そのシナリオに沿った防御で実行犯の無害化が達成できれば成果となる。だが、問題はほとんどの事案は、想定とは異なる要素を含んでいるということだ。

 その場合には、警護者は過去に受けた訓練、学んだ知識、現場経験といった「手持ちのカード」を駆使して「未体験の事態」に対する最善の防御策を繰り出さねばならない。そして多くの場合は、その判断は瞬時に求められるし、内容的には原理原則に返りつつも未見の応用問題を即座に解くことになる。また、その場合の警護行動には、警護対象者や周囲を巻き込むことが多い。

 そのような柔軟な判断を瞬時に下し、しかも周囲を巻き込んで被害を防止するというのは、特殊な任務である。とりわけ、日本の終身雇用の官僚が持っている、前例主義、条文主義、横並び主義、根回しといった判断のパターンや思考回路とは、根本的に異なる思考様式が求められる。このような柔軟、瞬時、合理的、説明を後回しにした実力行使といった要素は、要人警護には避けて通れない。

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