しかし、日本にとって真の意味での国家総力戦は太平洋戦争であった。1937年には国民精神総動員運動が始まり、38年には国家総動員法が制定され、国家を構成する全ての領域のベクトルは勝利に向けて強制的に指向され、全てのリソースが動員された。なお、国家総動員法に違反した場合の罰則は、最終的には「十年以下ノ懲役又ハ五万円以下ノ罰金」と厳しいものになった。
こうした全面的な国家総力戦にもかかわらず、日本は戦争に敗れ、膨大な犠牲と破壊を被った。そして、戦争への協力を強制したこと、あるいは戦争に協力したことへの後悔と罪悪感が多くの国民の心に刻み込まれた。
その結果、戦後の日本では国家総力戦は悪の代名詞となり、語ることは忌避され、国家・国民を侵略から守ることへの協力を罪悪視するメンタリティが固定化された。そして、国の防衛は専ら自衛隊だけが担うものとして矮小化された。
自衛隊単独では限界も
ただ現実的には、自衛隊は単独では国を守ることはできない。自衛隊は自己完結型組織だと言われているが、それは誤解を招く表現だ。民間による支えが無ければ、自衛隊は平素であっても一日たりとも活動できない。
自衛隊の装備品を製造しているのは民間企業(防衛産業)である点は良く知られているが、装備品の修理や整備についても、軽易なものは自衛隊でも可能だが、大々的なものは民間企業頼りとなる。また、陸上自衛隊の長距離機動では、鉄道や民間フェリーが重要な輸送手段となる。
さらに、自衛隊で使う事務用品や日用品は全て民生品であり、それらの補給は民間企業頼りだ。自衛隊員が日々食べている食料品も全て民間から納入されている。
医療に関しても、地方の部隊では最寄りの民間病院に頼らざるを得ない。そして、自衛隊の平素の活動には、法執行機関、関係官庁、自治体などの公的機関からの支援や認可が欠かせない。
軍事と非軍事の境界が曖昧なハイブリッド戦への対応のみならず、平素であっても自衛隊と多様な官民アクターとの協力は不可欠だ。つまり、現代の日本でも防衛のために国家が総力を挙げる必要性は不変と言える。
他方で、自由で民主的な国家である日本では、防衛への協力は決して強制されるものではなく、適正な契約、法で定められた枠組み、自発的な行為などが基本となる。したがって、かつての国家総力戦とは異なる現代の日本に相応しい新たな国家総力戦の姿を創造することが求められる。
それでも日本では、かつての国家総力戦への忌避感から防衛への参画や自衛隊への協力をタブー視、もしくは躊躇する雰囲気が根強く、これはハイブリッド戦への対応以前の大きな課題である。この際、国を守ることへの協力を極端に罪悪視する人々は、平素における官民による自衛隊への協力をも問題視する。