ドイツ皇帝が描かせた「東から迫る仏陀」
相前後して欧州大陸からも黄色人種を警戒する論が沸き起こってくる。ドイツの皇帝ヴィルヘルム2世が黄色人種脅威論を唱え出したのである。従兄弟であるロシア皇帝ニコライ2世に対しては、黄色人種の侵入から欧州を守るのがロシアの役目であり、日清戦争で日本が獲得した中国の遼東半島を独仏露の圧力によって返還させた三国干渉において、ロシアがイニシアティブをとって黄色人種である日本人の拡大を抑えたことを称賛するなど、彼の黄禍論は、日清戦争で日本が最新兵器を使いこなして高度な戦闘ができることが示されたことを受けて、中国だけでなく日本も含めていたのである。
ヴィルヘルム2世は、自ら黄禍論をイメージするスケッチを作成し、それをお抱えの宮廷画家に仕上げさせている。「ヨーロッパの諸国民よ、汝らの神聖な財産を守れ」と題されたこの絵の右側には、竜にまたがり炎に包まれた仏陀らしき影が、禍々しく西に向かっている様が描かれている。絵の左側には、空に輝く十字架の下、大天使ミカエルに率いられた女神たちが欧州文明を守るために迎え撃たんと集合している。それらの女神はそれぞれ欧州列強の各国を表していた。
皇帝は早速、その絵の複製を作らせて、欧州の王侯貴族を中心とする関係者に送らせたため、黄禍論という考えは急速に欧州中に広まった。国際政治に直接影響を与えるドイツ皇帝という立場がその説に重みを与え、それ以降、黄禍論といえばヴィルヘルム2世が想起されるようになる。
新聞を通じ欧州市民にも拡大
ヴィルヘルム2世の黄禍論とそれを表す絵画については、米国にも時を置かずに伝わっている。独帝の黄禍論はすぐに英国に伝わり、ロンドンの『タイムズ』紙が件の絵画について詳報すると、米国の各紙もそれを転載する形で報じたのである。また、当時ベルリンに特派員を置いていた数少ない米紙である『ニューヨーク・ヘラルド』は、件の絵入りで大きく報じ、それが『シカゴ・トリビューン』などの各地の主要紙にも掲載されて、全米に広まっていった。
同じ1895年半ば、ヴィルヘルム2世とは別のルートから黄禍論が広まっていた。ハンガリー出身の軍人イシュトヴァーン・トゥルが、黄色人種のもたらす脅威に警告を発したのである。イタリア統一やパナマ地峡の運河建設権獲得など各地で活躍したトゥルが、有力フランス紙の取材に対して、「黄禍」という言葉を用いて警告したのだ。トゥルの警告は、フランス語圏で浸透していったが、それがロンドンの『タイムズ』紙に取り上げられて、英語圏に一気に広まった。彼は、日本の急速な発展と、中国の計り知れない人口の多さを強調して、「黄禍」はこれまでにないほど「威嚇的」であると語っていた。
このインタビュー記事は欧州で直後に報じられた後、少し遅れて米国でも取り上げられている。『ニューヨーク・トリビューン』は、「日本の進歩と武勇は世界を驚かせている。仮に、全人類の3分の1を占める中国の一群が……[日本人]に西に向けて率いられたなら、欧州はどのようにして立ち向かえるだろう」とトゥルが懸念していると報じた。このようにピアソンの著書で触発され、ヴィルヘルム2世とトゥルによって広められた黄禍論は日清戦争直後には、大西洋経由で米国に持ち込まれたのであった。