2024年11月23日(土)

ニュースから学ぶ人口学

2022年12月27日

出生率を抑え込もうとする世界の人口転換

 人口増加率の低下は、北西ヨーロッパに始まった「人口転換」が世界に拡散したために起きた。近代以前の社会の人口動態は、一般に高い出生率と高い死亡率の組み合わせ(多産多死)からなり、人口増加は緩やかであった。たびたび襲う飢饉や疫病によって、大量死亡が起きることもあった。

 社会の近代化が進み豊かになるにしたがって、死亡率が低下し、あるいは出生率が高まって、人口増加率が上昇する。やがて死亡率の低下を追うように出生率が低下していく。そして低い出生率と低い死亡率の組み合わせ(少産少死)が実現して、穏やかな人口増加率に戻ると考えられていた。

 1960年代の人口爆発の時代は、日本を含む先進諸国で概ね人口転換を完了した一方で、発展途上国で経済開発と援助によって死亡率が低下していったにもかかわらず、出生率に大きな変化がない、過渡期の局面であったといえよう。当時、第2次世界大戦後に独立した多くの発展途上国は経済的に貧しく、教育の普及も十分ではなかった。結婚や出産は古い時代の慣行を受け継いでいて、多産はむしろ喜ばしいものであった。

 しかし大きな人口増加は経済成長への離陸を妨げ、食料やエネルギーの不足や枯渇を加速させるものと懸念された。国連は1974年を「世界人口年」と定めて、8月にルーマニアのブカレストで政府間レベルの世界人口会議を開催して、「世界人口行動宣言」を採択した。

 中国で79年から「一人っ子政策」が始まったように、途上国でも徐々に出生率を低下させる取り組みが強化された。経済水準や宗教的な理由に基づく大きな地域差を伴いつつも、途上地域でも人口転換が始まり、出生率も低下していった。

 日本では世界人口会議に先駆けて、74年6月に人口白書『日本人口の動向-静止人口をめざして-』が発表された。そこでは出生率を、人口再生産できる水準よりも4%低下させれば、36年後の「昭和85年」(2010年)まで人口は増加するが、それ以後は減少に転じることを示して、人口が増えも減りもしない「静止人口」を目指すべきことを訴えた。

 同年7月には3日間にわたって、政治家、国連関係者、研究者、作家などが集まった日本人口会議が開催された。最終日には「子どもは二人まで」として人口抑制を図るべきとする大会宣言を発表した。

 合計特殊出生率は75年に2を割り込み、74年は日本の少子化の出発点となった。少子化が起きたのは日本だけではない。1970年代にはドイツ、ベルギー、カナダ、米国、デンマーク、フランスなど、多くの欧米諸国で2未満となった。

人類の危機「人新生」に突入するのか

 2022年は国際的な研究・提言機関であるローマクラブが報告書『成長の限界』を発表して50周年の記念すべき年である。デニス・メドウズらによって著されたこの報告書は、資源と地球は有限であり、人口増加と経済成長によって100年以内に地球上の成長は限界に達すると警告した。

 その翌年、1973年に石油危機が勃発する。第4次中東戦争を契機として原油輸出が制限されたために、原油や石油関連商品を中心として著しく価格が高騰したのである。真の資源枯渇ではなかったが、あたかもローマクラブの警告が現実になったかのように受け取られた。


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