それにしても、中国の急速な核軍拡が日米同盟の抑止力に対して持つ意味についての議論は多々あるが、それが核兵器国の中国の隣国、インドとパキスタンに及ぼし得る影響については、これまであまり関連の文献がなかった。これは、伝統的にインドとパキスタンの核軍備は、それぞれ相手の侵攻を抑止することが主目的の「地域的」意味しか持たず、均衡・安定しているという既成概念に囚われてきた。
この論説によれば、中国は米国との世界的競争に関心を移し、その結果大規模核軍拡に踏み切った。インドに対し通常戦力で大幅に劣るパキスタンは、中国の支援を得て、最小限抑止から全段階的抑止に舵を切ろうとしている。
この2つの核軍拡に挟まれ中国との対抗を主な関心事項とするインドは、コストも念頭に最小限抑止を維持する可能性が高いが、中国の核兵器が大幅に拡充し早期反撃のために警戒レベルが上がることや、精密攻撃能力の改善も相まったインドの残存核能力への脅威が増大し、更には防空・ミサイル防衛能力が強化されインドの核反撃の防止などが進めば、そのままではいかなくなるかもしれない。
現状でも、中国とパキスタンの双方の核威嚇に対抗するためには、インドは一定の核軍拡が必要と言うのがテリスの見立てだ。が、そうなると当然パキスタンも核軍拡に走るので、中国の核軍拡が3カ国全てに核軍拡のスパイラルを起こすということになる。あまり見たくない世界である。
インドの核実験はクアッドを崩壊の危機に追いやる
そして、この状況へのインドの対応策として、米国によるインドへの戦略的協力の可能性を示唆していることが、正にテリスの慧眼の素晴らしいところだと思う。核実験数が十分でないことからインドの水爆の信頼性には限界がある。水爆の実証のためにインドが核実験を再開すれば、各国からの制裁は免れないし、日米豪印4カ国の枠組み「Quad(クアッド)」の崩壊にまで繋がりかねない。
逆に、中国のパキスタンへの各種核兵器関連技術の協力に対応する意味からも、米国が、水爆の設計情報や、インドの核兵器の残存能力を高めるために必要な核搭載原潜建造に不可欠な海軍原子炉設計情報をインドに提供する可能性をテリスは示唆している。正に、AUKUSのインド版だ。
インドがAUKUSに入るというのはあまりありそうにないが、インド用に新たな米国他との協力の枠組みを作るという可能性は排除されないだろう。この論説が指摘するように、そのためにインドが戦略的自律性を放棄する必要があるかどうかは、その枠組みの内容次第かもしれない。ともかく、極めて大胆で貴重な問題提起であることは間違いない。そして、米国が自身の戦略的優先度を真剣に考え抜くことができれば、これは、一つのあり得る選択ではないかと思う。