しかも同条約には、当初25年の有効期限が定められていたが、95年に、無期限延長が決定してしまったので、この条約は今後永久に存続する。つまり、5カ国の核保有を公認するという実定国際法上の仕組みが永久に続くということだ。したがって、5カ国の核兵器は、自らの意思で削減・廃棄しない限り、永久に残るということだ。彼らが自らの意思で廃棄することは到底考えられない。
確かに理論的には、NPT自体を改正すれば話は別だが、条約改正には5カ国の同意が必要、つまり、「拒否権」が認められているので、改正は事実上できない。国連憲章がなかなか改正できないのと同じ理由である。
会議の合間に漏れた「本音」
核は永久に無くならないか
私事ながら筆者は、60年代初めから外務省条約局(現在は国際法局)でNPT作成交渉やその後の核軍縮交渉をフォローしていた経験があるが、とにかく核兵器をめぐる国際交渉ほど空しく不愉快なものはないと思っている。5カ国がその気にならなければ、他の国がいくら核軍縮・核廃絶を唱えても、何も実現しないからだ。
当時、創設されたばかりのジュネーヴ国連軍縮委員会で、同席していたスウェーデンの軍縮大使、インガ・トールソン氏(軍縮担当大臣も歴任)が会議の合間に、ふと漏らした言葉が今でも忘れられない。
「核軍縮とか核廃絶は所詮実現不可能なのだ。このことを正直に言ってもよければ、私たちの気持ちも少しは楽になるのだが、それを言ったらおしまいだ……」
彼女の諦めにも似た虚しい気持ち、本音が深いため息となって出たもので、未だに筆者の耳の底に刻み込まれている。
繰り返しになるが、被爆国日本人としては、核廃絶が単なる夢で、到底実現できないものと認めてしまってはいけない。どんなに苦しくても、理想の灯は消してはならず、究極の目標に向かって粘り強く努力すべきだ。
しかし、だからと言って、国際政治や国際法の現実を無視し、ただ感情的に核廃絶を訴えても、それだけでは世界的には通用せず、所期の目的を達成することはできないと思うのだ。
では、核兵器は永久に絶対に無くならないかと言えば、私は無くなる可能性はゼロではないと思っている。どうすれば無くなるのか? それは、単刀直入に言えば、将来研究開発が飛躍的に進んで核兵器以上に強力で、しかも管理しやすい(使いやすい)新兵器が生まれた時だろうと思う。例えば新型レーザー兵器やサイバー兵器よりもっと強力な、圧倒的な破壊力を持った攻撃兵器ができれば、当然核兵器は無用になるはずだから、放っておいても自然に消滅するはずだ。
そのような、今まで見たことも聞いたこともないような新しい最終兵器が出現するまでは、現在の核兵器が存続する。それがいつかは分からないが、いずれ来るのではないか。それまでは現在の核兵器を核大国が手放すことは決してないだろうというのが筆者の推論である。
仮に核兵器が無くなっても、それに代わる、もっと強力な大量破壊兵器が出現すれば、人類の不幸は続くはず。核兵器さえなくなれば世界は平和になるとは限らない。地球上に戦争(武力衝突)が無くならない限り平和にはならない。
誤解を恐れずにさらに踏み込んで言えば、現在核抑止力がより悲惨な大規模な戦争を防止していると考えれば、「恐怖の均衡」といわれる核抑止力にも一定の効用があるとも言えるのではないか。
例えば、ロシアがウクライナ戦争で核兵器使用を時々ちらつかせても実際の使用をためらっているのも、また、北朝鮮が核ミサイルの発射実験を繰り返しても実際に使うことはないだろうと考えられるのも(将来絶対に使わないという保証はないが)、一旦使ったら最後、核兵器で報復を受け大惨事となり、自己破滅に至ることを知っており、そのことがギリギリの抑止力になっているのだと思う。