転機は社会人で始めた「草野球」だった。ミスをしても、誰も怒らず、ヒットを打てば笑顔がはじけた。小学生の頃からの夢だった投手にも挑戦できた。結婚して誕生した長男も、中桐さんが楽しく野球をやっている姿を見て「僕も野球がやりたい」と言い出すようになった。
「指導者に恵まれればいいですが、それは入ったチームの運に委ねないといけない。自分と同じ思いは絶対にしてほしくなかった」
悩んだ中桐さんは、インターネットで理想のチームを探した。検索にヒットしたのが、茨城県つくば市の春日学園少年野球クラブと、同クラブの理念に賛同した宇田川淳さん(44歳)が19年3月に川崎市を拠点に設立したブエナビスタ少年野球クラブだった。
「素晴らしいチームでしたが、練馬から通うには、どちらも時間がかかる。だったら、自分が同じようなチームを練馬につくればいいと思いました」と中桐さん。両チームに「マネをさせてください」と頼み、同じ理念を掲げた。
効率的な練習メニューで時間を短縮
実は、宇田川さんも、長男が小学2年から入った少年野球チームの運営方針とぶつかったことが設立の転機だった。
息子が入会した近所のチームで、宇田川さんが違和感を抱いたのは練習時間の長さだった。練習や試合は毎週の土日と祝日で、いつも朝から夕方までと長時間だった。ところが、一つずつの練習をみていると、「待ち」が長く、とても効率的とは言えなかった。
自身は仙台市で育ち、少年野球チームにも所属した。当時は土曜日も学校があった。放課後から夕方までの練習が楽しく、日曜に試合があっても半日で野球は終わりだった。
それでも、濃い練習はメニューに不足がなかった。それ以外の時間は友達と森に出かけて、秘密基地を作って遊んだりした。大人になれば、野球も秘密基地も大切な思い出だった。
「いまのメニューを凝縮したら、午前中だけで終わるんじゃないか。だったら、子どもたちは午後から家族と出かけたり、友達と遊ぶ時間もできる」
チームは当時、人数確保に悩みを抱えていた。高学年だけで9人がそろわず、下の学年の選手も入って試合を戦っていた。当然、なかなか勝つこともできなかった。
「人数が集まらないのは、練習時間にも問題があるのではないか。だとすれば、大人の責任。変わる勇気が必要だと思った」。インターネットで目にした春日学園少年野球クラブの活動を父母会で紹介し、同クラブに自らが話も聞きに行った。持ち帰った情報を父母会で共有したが、「チームは変わることができませんでした。だったら、自分が新しいチームをつくりしかないと思いました」。
宇田川さんは息子とともにチームを飛び出し、ゼロからブエナビスタ少年野球クラブを作った。「練馬アークス・ジュニア・ベースボールクラブ」ほど厳守はしないものの、練習時間はおおむね土日の「4分の1」。練習時間を短縮し、キャッチボールの代わりに挟殺プレーで肩を温めつつ実戦感覚を養ったり、報酬を支払う学生コーチが守備のノックや打撃練習を同時に複数箇所で行って効率化を図る。練習が足りないと思う子どもがいれば、帰宅後の「自主練」は大歓迎だ。
宇田川さんは言う。
「選手たちがチーム練習後、『もっとやりかった』と思ってもらうくらいが丁度いいと思っています。その後の自主練で、自ら取り組んで得るものは、与えられた練習よりも多くのことが身につくと確信しています」