筆者のみるところ、ボランティア精神の拡大・浸透という目標は、若者にもそれなりに切実なものとして受け入れられる可能性がある。なぜなら、過酷なロックダウンの際に人々が生き延びた一つの原動力は「社区」の隣近所における相互扶助だったからである。しかし同時に、既に中国の人々は「これで何度目なのか」というほど雷鋒のことを知りすぎているため、新たな「学習」のうねりがどの程度の功を奏するのか測り難い。
そこで習近平政権は、将来に向けて「大思政課」を真に実効的なものとするためにも、そもそも幼児教育を国家の強い統制のもとに置き、小学校以後の政治・体育・徳育教育を心から受け入れられるような幼稚園児を育てなければならないと考えるようになった。
幼児期から「後継者を養成する」
もともと中国には一応、幼児教育のガイドラインとして、教育部が2012年に公布した『3〜6歳 児童学習与 (と) 発展指南』というものがある。そこでは大まかな方針として「幼児の心身の全面的なバランスある発展を促進し、一面的な発展を追求してはならない」「幼児のそれぞれの発達を重視し、いたずらに他の子供と比較してはならない」「幼児の直接の経験や遊戯などを重視し、選抜してエリート教育をしてはならない」といった方針を掲げてきた。
しかし中国では、学校教育の非常に大きなエネルギーが全国統一大学入試「高考」でのより高い得点と、高い経済社会的地位の獲得による成功のために注がれ、子供をより学力の高い高中(高校)、初中(中学)へ入れようとする競争は熾烈を極めてきた。そして「孟母三遷」の言葉通り、より高学力の学校がある学区に転居する動きも旺盛で、マンション価格もそれに応じて高騰するという副作用もあった。
この種の競争はついに幼稚園段階にまで波及し、幼稚園段階で小学校レベルの教育を行い、かつ子供同士の競争を促すような幼稚園の人気が高まり、入園難や入園費の高騰も招いていた(中国経済網2023年8月29日「学前教育法草案、亮点不止在幼稚園“小学化”」)。
そこで去る8月28日、「治安管理処罰法」改正案と並んで全人代に草案が示された「学前教育法」は、上記『指南』の精神を立法化することによって、この種の風潮を完全に根絶しようとしている。例えば次のようにいう。
「学前教育は、単に小学校入学前に子供の知識や能力を高めるものではない。大卒に至るまでの国民教育体系の全体像の中に位置づけられる、重要な社会公益事業である」(第三条)
「幼児の心の中に、年齢相応の智力に対応した道徳心・基礎体力・審美眼・労働を愛する心を植え付け、将来の《中華民族の偉大な復興》を実現するための後継者を養成する」(第四条)
そのうえで同法は、今後の学前教育=幼児教育は国家主導で、各級の政府が設立する、家庭環境の如何に関係なく幼児を受け入れるような「普恵性幼稚園」を主軸とすることをうたうとともに、いかなる個人・団体であれ、営利的な民営幼稚園を設立してはならないとする。また、学前教育は遊戯を中心として、幼児の全般的な発達を促すものでなければならないとし、小学校段階の教育内容の伝授や、テストによって幼児どうしの比較・優劣をつけることを厳禁する。
では、ここでいう「遊戯」とはどのようなものか。もちろんその少なくない部分は日本の幼稚園と同様かも知れないが、例えば動画配信サイト「bilibili」を見れば、幼稚園児が紅軍ないし人民解放軍の兵士の格好をして、雷鋒に学んで党と国家に忠実な子供であることを誓い踊るシーンはいくらでも出てくる。
一方、小学校レベルの教育を禁じる結果、幼稚園児は絵本を読むのに十分な漢字やピンイン(ラテン文字で華語の読み方を示したもの)を学べないという可能性がある。そこで、幼稚園の教員が子供に絵本を読んで聞かせる必要性が増すと思われる中、愛国主義教育的な内容がますます徳育の名において幼児の心に深く入り込むことになろう。
この結果今後の中国では、これまで以上に幼児期から純粋に愛国主義教育に染まった人々が拡大再生産されることは疑いない。そして日本との関係では、庶民から外交当局に至るまで、抗日英雄のように「機転を効かせて日本を懲らしめ正す」という類の発想が、中長期的にいっそう強まることになろう。これもまた、習近平新時代の中国が抱える複雑な現実の帰結である。