第二次世界大戦を防げなかったという点から、短期的には「失敗」の評価を受けることの多い国際連盟であるが、長期的成果の一つは、国際関係において「正しいこと・望ましいこと」を明示する規範の形成に尽くしたことであろう。こうして、連盟時代に、アヘンの使用は人々の健康には望ましくないという規範や、戦争により紛争を解決することは認められないという規範が広まっていった。
国際連盟という多国間組織が議論の上に、決議案や条約の形に明文化し広めたことで、その考え方を受容する加盟国も増えていった。また、制度の多くが戦後の組織、つまり国際連合に継承されたことも、国際連盟の遺産であろう。国際連合は、総会・安全保障理事会・事務局という主たる制度を踏襲しており、武力不行使原則も国際連合憲章に明確に盛り込まれた。
コロナ禍で難題に直面した
グローバリゼーション
国際連盟時代は、交通手段が発展していない中、欧米だけでなくアジアやアフリカからも各国の代表が集い世界的課題を議論した。このような動向は、20世紀初頭から徐々に始まっていたグローバリゼーションにも影響を与えた。国際連盟は、国際協力を進め国際関係を円滑化させる20世紀の制度的転換点でもあったのである。グローバリゼーションは、「人、モノ、資本、情報」の国境を越えた往来が進む現象であるが、特に経済の相互依存化、ITテクノロジーの進化によって21世紀になると加速してきた。
一方で現在のコロナ危機は、グローバリゼーションに付随するマイナス面と絡んでいる。人が国境を越えて自由に移動するなら、ウイルスも同時に国境を移動する。昔も疫病が起きると、その村や地域への出入りを禁じる対策が取られたが、簡単に国境を越えて人が移動する時代では、地理的拡大を抑えることはできなかった。
欧州連合(EU)諸国は、域内で人の往来を自由化するシェンゲン協定を結び、協定加盟国国民は域内をパスポートなしで移動できた。しかし、コロナ禍は国境封鎖をもたらし、国境の絶対性が一時的にせよ強まるものとなった。日本の外務省が成田空港で海外在留邦人にワクチン接種を行ったように、国民の健康を守るために「国家の役割」が重要なことが再認識された。
保健分野は人々の生命にかかわるため、国家間協力が進展しやすいという説も唱えられていたが、コロナ禍では、国際協力は後景に押しやられていった。保健問題を専門とするWHOも、このコロナ禍において役に立ったとは言い難い。初動期における判断の遅れ、中国への配慮、加盟国に対する強制力がWHOに備わっていないことなどが、その理由に挙げられている。