2024年5月5日(日)

日本人なら知っておきたい近現代史の焦点

2023年11月4日

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 国際連盟は、第一次世界大戦の惨禍という経験から生まれた組織である。人類史上、初めての総力戦となった第一次世界大戦では、潜水艦や毒ガスといった新兵器が使用され、民間人が巻き込まれ、200万人を超す犠牲者が生じた。このような世界戦争を防ぐための方策として、国際機関の創設が構想された。

 1919年、戦勝国が戦後処理を討議したパリ講和会議で、国際連盟規約が定められた。同規約は紛争の防止を目的に掲げ、連盟理事会(常任理事国と非常任理事国から構成)、総会(全加盟国が参加)、常設の事務局(スイスのジュネーブに設置)を置くことを定めた。理事会と総会は定期的に開催され、そのメンバーであれば中小国でも発言の機会を与えられた。アジアからの参加国は、日本、中国、タイであり、当時の中国は国内情勢が混乱していたが、国際連盟の一員として非常任理事国に選出されることもあった。

かつての国際連盟本部は、今も国際連合ジュネーブ事務所として国際秩序に貢献している(HAROLD CUNNINGHAM/GETTYIMAGES)

 20年代の国際連盟は、提案者である米国の不参加にもかかわらず、一定の成果を上げつつあり、紛争解決を平和的に達成するという実積を積み重ねていた。例えば、20年代後半にドイツ・ポーランド間の係争となった少数民族問題でも、理事会議事録を読むと、時には3時間以上にわたる会議の中で、紛争当事国のみならず第三国も積極的にかかわり、その問題解決に知恵を絞って議論を重ねていた。

 国際連盟は公衆衛生、難民問題、アヘン統制問題などの社会問題に積極的に関与した。難民問題では、国際連盟に付随する難民高等弁務官事務所が設立された。緒方貞子氏が国際連合難民高等弁務官事務所(UNHCR)の長を務めたが、同組織の前身である。公衆衛生面では、伝染病情報を迅速に収集する活動も行われ、国際連盟保健機関(世界保健機関〈WHO〉の前身)がシンガポールにその支部を置き、船舶からの情報を収集していた。

 また、国際連盟は、何が望ましいのかという「規範」の形成と普及にも取り組んだ。その一つが、国家間の戦争を違法とする「戦争の違法化」である。日清・日露戦争が国際的非難を浴びなかったように、第一次世界大戦前、戦争は許容される国家の行為であった。しかし連盟規約は一定の戦争を規制し、また不戦条約が28年に結ばれたことで、戦争は国家にとって許容される(国際法上違法ではない)という考えから、戦争は違法であるというパラダイムシフトが起きつつあり、この流れに国際連盟での議論・決議案・実行は大きく寄与したといってよい。

 このように戦争観が変化しつつある中で起きたのが、31年の満州事変であった。満州事変をめぐる国際連盟での議論と対応は、遠いアジアの問題でも全加盟国の関心事であるという原則を貫き、連日、議論を重ね、日本が取った手段、すなわち戦争は認められないという結論を出したのであった。


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