ガザ地区を実効支配するイスラム主義勢力ハマスとイスラエル間の衝突により、パレスチナ情勢が緊迫化する中、フランスのマクロン大統領はハマス掃討に向けた国際的な有志連合の展開を提案した。こうしたフランスのイスラエル寄りの姿勢に対し、中東諸国の一部では在フランス大使館前で抗議デモが発生するなど、フランスに批判の矛先が向けられている。
フランスの中東外交
まず戦後のフランスの中東政策は、第4共和制の歴代政権(1946~58年)が親イスラエル政策を追求し、原子力協力や軍事協力を中心に関係強化を図った。56年のエジプトによるスエズ運河の国有化の際には、イスラエルや英国と共に、エジプトに対する軍事作戦に着手した。
しかし、フランスのエジプト派兵はアラブ諸国で反仏感情の高まりを招いた。こうした状況を打開すべく、ド・ゴール大統領(59~69年)はアラブ諸国との関係改善に乗り出し、67年の第三次中東戦争時、イスラエルに対して武器禁輸措置を講じ、アラブ諸国への支持を表明した時期もあった。
70年代には、フランスは中東産油国からのエネルギー調達のため、アラブ諸国との更なる関係構築を図った。当時、フランスはアルジェリア独立後も同国の石油資源を握っていたが、71年にアルジェリアがフランス系資本を国有化したことで、アルジェリアからの石油調達に支障が生じていた。
80年代に入ると、ミッテラン大統領(81~95年)がパレスチナ問題に積極的に関与し、パレスチナ解放機構(PLO)との関係を深めるとともに、パレスチナ人が国家を持つ権利を主張した。一方、82年に仏大統領として初めてイスラエルを訪問し、イスラエル議会「クネセト」で演説を行った。同大統領は双方との対話チャンネルを維持することで、フランスがパレスチナ和平問題の解決に向けての役割を担おうと試みた。
その後2000年代、ユダヤ人を出自に持つサルコジ大統領(2007~12年)は、就任当初はイスラエル側との関係を重視した。しかし、イスラエルによるパレスチナ人弾圧が激しくなるにつれて、中立的な立場へ徐々に転じた。