2024年4月19日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2023年11月9日

 去る10月27日に死去した中国の李克強前首相は、その晩年と死の直後に人々の注目の的となり、多くの人々から深い敬愛を受けた。しかし一方で、今日の中国を考える上で問題を残さないわけでもなかった。

死去を機に国民から敬愛を受けている李克強前首相はどのような道を歩み、何をしてきたのか(新華社/アフロ)

河南省長としての〝成果〟

 李克強氏につきまとう一大疑問点として筆者が指摘しておきたいのは、李氏が40代の若手ホープとして河南省長となった1998年から2004年の間、一貫して副省長として仕えた陳全国氏との関係である。陳氏はもともと中学(日本の高校)卒業後、人民解放軍の一兵士から出発し、文革後の大学入試復活とともに鄭州大学で学んだ後は、もっぱら河南省の地方党官僚としての経歴を積み重ねてきた。それは、北京大学経済学博士と共青団トップという李氏の華々しい経歴と比較すると相当異なる。

 しかし、陳氏がたまたま李氏のもとで副省長に就任し、きっちりと助手としての役割を果たしたことは、李氏の強い印象に残ったのであろう。のち08年春にチベットで独立運動が起き、胡錦濤政権が徹底したアメとムチ、すなわち「社会の安定」と経済発展の両立によって封じ込めを図ろうとする中、副首相となっていた李氏が陳氏の能力を高く買ったためであろうか、河北省に転じていた陳氏は11年にチベット自治区の党書記に抜擢された。陳氏はチベット自治区の区都ラサ市に着任後、多くの貧しいチベット人を強制的に集め、一定の期間にわたり職業・華語(中国語)訓練施設で中国社会の一員としての意識を高めさせたという業績をアピールした。

 一方、習近平時代に入った中国共産党(以下、中共)中央は14年以後、新疆ウイグル自治区のウイグル・カザフなどイスラム教徒少数民族に対して極めて厳しい方針で臨む方針を固め、チベットでの業績が高く評価された陳氏を16年に新疆の党委員会書記に転じさせた。以来陳氏は、習近平最高指示を絶対化する姿勢のもと、チベットで試みた手法をさらに厳格化し、AI・ITを駆使して「恐怖主義・分裂主義・宗教極端主義=三毒」を炙り出し、罪状が重いとみなした「犯罪分子」を容赦なく処刑・投獄した。また陳氏は、「三毒」の程度が軽いとみなした人々については、職業訓練センターと称する強制収容所に隔離し、現地のイスラームと少数民族文化に対しても「中華民族意識の鋳牢(叩いて固めること)」と称する凄まじい抑圧を加えることで、「社会の安定」を達成したと誇示した。

 筆者は、指導者の考えに沿って方針を立て、それを完全にやり通す陳氏が、もし若手のホープとしての期待が集まる李氏の第一の部下となり、このような「実務能力」を見出されたのでなければ、少数民族地域をめぐる状況もここまで悪化しなかったのではないか、と考えなくもない。

 しかし、それは最終的に陳氏の問題であり、陳氏をチベット自治区・新疆ウイグル自治区のトップに任命した胡錦濤・習近平両氏の問題である。習近平政権では主に経済を担当した李氏としては、「三毒潰し」で新たに強く結びついた習=陳関係に介入する余地も減っていたのかも知れない。


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