2024年11月22日(金)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2023年12月23日

遅々として進まない大学入試改革

 1点目は、旧態依然とした大学入試制度である。大学入試というと、昔から「受験地獄」などと言われており、試験として極めて難しいというイメージがある。けれども、21世紀の現代に相応しい能力試験であるかというと、大いに疑問がある。

 まず「正答のある問題」に限られており「答えのない疑問を発する能力」は無視される。また塾や予備校が発達する中では、どんなに「頭を使う問題」を出しても、過去の類似出題に触れている生徒が勝ってしまい、ゼロから解法を編み出す能力の判定はできていない。

 更に、私立文系では数学が出題されないという深刻な問題は改善されつつあるが、改革のスピードは遅い。また、そもそも高校の学習指導要領を逸脱することは禁じられているので、英語で原典を読ませる出題が難しいし、数学でデータサイエンスに必要な統計学、行列や微分方程式などカリキュラムの「空白部分」を問うことはできない。要するに、AI時代に必要な「頭脳の能力」を問うこととは、全くかけ離れている。

 大学はそれでも、入試を多角化しており、AO入試、帰国子女入試、指定推薦枠などを通じて多様な人材を合格させようとしている。ところが、最近は一部の企業が入社選考のエントリーシートに「大学へ入学した際の選考方法」を書かせるということを始めた。その背後には「一般入試を突破していないと地頭(じあたま)の証明がない」という発想があるのは明らかで、時代錯誤も甚だしい。

企業と大学の〝共闘〟

 2点目は、大学教育と企業の期待するスキルが非連続なことだ。特に文系の場合に、大学で教えた法律、財務、会計、マーケティング、経営などの知識を、各企業が認めないことにある。

 「地頭(じあたま)が良くて、色のついていない」、つまり意見も思想もない人間を、職場内訓練(OJT)を通じてその企業の文化に染め上げるのを企業は好む。その結果、企業経営は過度の自己流がまかり通り、その多くは法務・労務・会計などのグレーゾーンにおいて利己的な判断基準で運用されている。

 この問題の背景には、企業側だけでなく、大学にも問題がある。あらゆる大学教育は職業教育であり、そこには例外はない。

 例えば哲学科の使命は大学教員もしくは著述家として生活が出来るプロの哲学者を育てることであり、これもまた立派な職業教育である。ところが、大学が職業教育だというと、教養主義を無視しているとか、利潤追求活動が学問を歪めるなどといった反発が大学内から出る。

 つまり、大学でプロフェッショナル教育を受けた人材は「色がついていて」困るので自社独自の教育をしたいという企業側と、職業教育を嫌う各大学の教授会が、ある意味では、現状維持のために共闘している格好である。その結果として、理系は別として大学教育がそのまま経済の競争力強化に結びつかないという無駄なことになっている。


新着記事

»もっと見る