走り幅跳びからトライアスロンに転向したのも、有酸素系の競技のほうが長く競技を続けられると将来を見据えた決断だった。パラトライアスロンは、最初にスイム0.75キロ、次にバイク20キロ、最後にラン5キロの順で実施される。谷さんは現在、夫の協力を得ながら育児の合間を縫って早朝からプールで泳ぎ、苦手なバイクやスタミナ勝負のランにも力を入れてきた。
パリ大会に向けた選考ポイントは15日のレース前まではゼロ。実は1週前の8日にもアブダビで開催される大会に出場予定だったが、雷雨予報によって直前に中止が決まった。代表が決まるまで残り3カ月半程度しかない。
本人も「まだパリは全然見えていなくて、そこまで考えてもいません」と正直な心境を話す。それでも、このタイミングで競技に戻ってきたのは、谷さんらしいポジティブなものだった。
「たった一度の人生。世界の舞台でまだ戦える可能性がわずかでも残っているのなら、自分から可能性を捨てることはしたくありませんでした」
パリを目指すなら、本来なら少しでも早く復帰したほうが良かっただろう。しかし、谷さんは現実をプラスに受け止めている。
「東京大会はコロナ過での1年延期もあり、モチベーションを維持するのも大変でした。今回は代表決定までも短期決戦。結果はどうなるか、わかりませんが、集中力を高めて、一気に乗り切りたいと思っています」
戦うとともにスポーツを楽しむ
東京大会では、世界的な競技普及がそこまで広がっていなかった運動機能障害PTS4(半身に軽度の障害、片腕に高度の障害、または手足の欠損)だが、パリ大会では単独クラスでの実施が決まっている。それだけ選手層は厚くなり、東京大会に向けて切磋琢磨してきた年上や同世代のアスリートに加え、若い10代の選手も台頭している。
全員がライバルであり、PTS4を支える仲間でもある。残り3カ月半。谷さんは結果だけに固執することなく、戦うプロセスを大事に、何よりスポーツを楽しみながら、密かな期待を込めた思いをパリへ向けている。