2024年7月16日(火)

Wedge REPORT

2024年7月12日

映画が描く老子の「人の理想的なあり方」

 エッガーは静かな笑みを絶やさず、その振る舞いは老年になってもすり減らない。こんなセリフも入る。「もし俺がそれほど疲れていなければ、幸せな気持ちで笑うことができるだろう」

 その意味を問うと、「二つの理由が考えられる」と監督は言う。「物語には現れませんが、亡くなった母からの強い愛情が、彼をあんなふうにしたのかもしれない。もう一つは、微笑みは強さになると知っていたからです。それは攻撃的な強さでも、人を挑発するものでもなく、生き続ける上で本当に大事なものをつかみ取れる強さです」

 足るを知る。そんな言葉が浮かぶエッガーの生き方で連想するのは、老子の思想だ。

 老子は人の理想的なあり方、道(タオ)にどう近づくかを「道徳経」で説いている。

 <「無為」の心術をどのように身につけるかということだが、その基本はまず、「欲せざるを欲する」こと。つまり「無欲」を生きる目標とし、欲望によって動かされない。次は「学ばざるを学ぶ」ことであって、もう学ばなくてよいという思い切りを生き方の目標とすることである。一度「学び」をやめてこそ、人々が見逃したことがわかるのだ>(保立道久著『現代語訳 老子』(ちくま新書)、一部引用者略、以下同)

 何に対しても無為、つまり流れのままという態度だが、老子は具体例を挙げている。

 <言葉ではなく、自らの行動で人に教えること、万物の成長を手伝いながら休まないこと、ものを生んでもそれを自分の所有物にしないこと、業績について『やった』という気持ちを持たないこと、成功しても成功者の座に座らないこと>(孫俊清訳著『明解 道徳経 人生を善く生きる81章』(元就出版社刊))

 <欲を満たそうと思わなければ、心は乱れなくなる。体と心を良くするには、自慢をせず、謙虚なまま、何も考えないようにし、イメージとして、胸の中を青空のように軽く空っぽにすることです。余計なことを考えず、食べられれば満足する。夢や志を減らし、欲望を持たない>

 まさにエッガーの生き方ではないか。

 「老子を知っていますか」。そう問うと、監督は画面の向こうで興奮した声を上げた。

 「映画から老子を感じていただけたとは! 実は私は少年のころから老子をずっと読んできたのです」

 監督と同じ名の父は著名な登山家で、アルプスの環境保護に尽力した人だ。「その父が幼い私に常々言っていたのは『微笑んでいる者が一番強いんだ』という言葉で、私の血肉になっています。14、5歳のころ、この言葉は老子からきたものだと知りました。父は老子を尊敬し、その言葉を繰り返し私に教え、また山にいることの大切さも教えてくれました」

 小説を映画化する際、「エッガーが老子の理想像そのものなんだと気づいた」そうだ。「シンプルに生きるエッガーは欲望を避け、自分を輝かせようとはしなかった。だからこそ彼は道をみつけたのです。多くの人を感動させるのはそこです。エッガーに亡き父が重なったため、この映画の最後に『父に捧げる』と入れたんです」


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