2024年11月22日(金)

医療神話の終焉―メンタルクリニックの現場から

2024年7月26日

 この学会では、岡田幸之、村松太郎、古茶大樹といったスター学者たちが、まことに精緻な責任能力論を高唱した。裁判所の論理に対抗すべく、精神医学の英知を結集し、洗練を極めた考察であった。

 しかし、なかには専門家の私にすら難解と思える話も多かった。いわば「細かすぎて伝わらないカンテイ」状態であり、裁判員に理解させるのは困難であろう。

心神喪失に伴う法の〝抜け穴〟

 裁判所によるこのような判決には、法制度上の事情もある。

 ドイツ刑法ならば、刑罰の代わりに「強制入院」を命ずることができる。だから、ワグナーの場合、死刑を回避することができた。法制度が整備されていたから、裁判所はあえて死刑を選択させずに済んだのである。

 日本の場合、そうではない。裁判所は心神喪失者に対して「強制入院」を命ずることができない。刑罰を与えることもできない。したがって、「心神喪失」との判断は、直ちに治安への脅威となる。このリスクを避けるために、裁判所として判断を下す側面もあるだろう。

 日本の刑事司法制度で、刑法39条を適用すれば、国民は恐怖のどん底に突き落とされる。「心神喪失」とされれば無罪となり、釈放である。

 もちろん、その後、一部のケースは、医療観察法ないし精神保健福祉法措置入院で強制入院になる。しかし、それらはあくまでも治療を目的としている。治安を目的としていない。

 入院は早晩終了する。その後、地域社会に復帰する。再度、事件が起きる危険性をはらんでいる。そのとき、誰も治安に責任をとらない。

刑事司法制度再考の時

 刑法39条のような乱心者免責規定は、養老律令以来の長い伝統を有するとされる。1300年の歴史があるこの制度を、私どもの時代に終焉させていいのか。それに、死刑の存置されているこの国で、心神喪失者・耗弱者とされるべき人を、次々に絞首台に吊るしていいものなのだろうか。私もその判断に苦悩する一人である。

 あくまでも個人的な見解であるが、私どもは、歴史という法廷で裁かれる覚悟はあるのだろうか。私どもは、もしかしたら自身が後世に禍根を残す、重大な過ちを犯している可能性に気づかねばならないのではないだろうか。

 では、何ができるか。刑事司法制度を再考する必要があるのではないか。ドイツ刑法がそうであるように、「心神喪失=無罪」となった人に対して、裁判所が「治療&治安」を命じることができる制度を作ることを検討してもよいのではないか。

 そうすれば裁判所が「心神喪失=無罪」との判決のハードルも下がるのではないだろうか。そして、「治療を命ずる。治安は国の責任だ」と直ちに付け加えることもできる。

 治療と治安という二つの目的を可能にする刑事制度は、「刑事治療処分」と呼ばれる。この制度があれば、心神喪失者に対して、治療を受けさせつつ、地域社会の安全を担保することができる。治安上のアフターケアを明文化しておけば、裁判所も、安心して「心神喪失=無罪」との判決を下せる。

 しかし、この制度がなければ、今回のように精神科医と司法との乖離は残る。この乖離をどう埋めていくのか、京アニ判決は、そのことをわれわれに問うている。精神科医である私にはそう思えてならない。

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