揺り戻しをしたトランプ
ポリティカルコレクトネスが幅を利かせる中、急速に多様化が進むのに意義を唱えれば、差別主義者とのレッテルを張られるのではと、そのような人々は委縮した。08年のバージニアの連邦上院議員選挙で、演説会に現れる敵陣営のインド系運動員のことをサル呼ばわりしたのが、撮影されて広まったことが原因で、将来の大統領候補とも目された共和党の有力候補が落選する事件もそのような風潮を強めた。
そのような中で、なぜそこまでマイノリティに気を遣わねばならないのかと思っていた人々の声を具現化したのがトランプである。彼は多少の差別的言辞は大丈夫とお墨付きを与えたのである。
このような流れを鑑みれば、オバマが大統領の時に多様性を一気に進めたことは、米国社会の多様性という振り子を大きく振ったことになったのかもしれない。振り子は振りすぎると戻りが激しくなる、そのようにみることもできよう。しかも、社会では様々なことが連動している。
人種で揺り戻しがくると、昔の家父長制の価値観へと戻す連動する力が働くかもしれない。性的マイノリティの問題も含めて様々な問題で軒並み揺り戻しが起きるだろう。ハリスの敗北はそのシンボルなのかもしれない。
ではいつまた米国は多様性の方向に進み始めるのだろうか。再びオバマのようなスターが彗星のように現れれば、振り子を一気に押し戻すことができるかもしれない。しかし、そのような存在がいなければ、少しずつ歩みを進めるしかないだろう。
米国の歩みと日本社会は多くの面で連動している場合が多い。米国社会の揺り戻しが日本にどのように影響するか注視していかなければならない。