すると、任期制限に日本を大きく変えるような特別に意味があることを示さなければならないと筆者は思うが、それはないようだ。過疎地の地方議員はなり手がいない状況だが、大都市の地方議員はまだまだ美味しい仕事で、美味しい仕事に巣くっている人を変えれば何か良いことが起きるということなのだろうか。しかし、新しく美味しい仕事を目指す人も美味しい仕事を求める人にならないか。
しかも、知事や副知事、市長、副市長などは候補者選定で優遇するという。すると、現職の知事や市長は候補者にはならないだろうから、「再生の道」の候補者は、知事や市長であったが落選した人が多くなるのではないか。ただし、多選は許されないので、美味しい仕事には8年間しか就けないことになる。これで何が変わるのだろうか。
政治を変え、政治屋を変えることは正しいか
石丸氏は、また、「政治を変え、政治屋を変える」という。政治家は国民の将来を考え、政治屋は次の選挙を考える、という。だから任期8年で政治屋を変えれば、日本が良くなるのだろうか。しかし、国家国民の将来を考える政治家が、次の選挙を考える政治屋より上だとは必ずしも言えない。
戦前、日本が戦争に突き進んでしまったのは、国家国民のことを考えた人々が、人口過剰の日本は植民地が必要で、そのためには他国の領土を得るしかないと考えたからだ。北一輝は「わが日本また50年間に2倍せし人口増加率によりて100年後少なくとも2億5000万人を養うべき大領土を余儀なくされる」(北一輝『日本改造法案大綱』緒言、1923年)と書いている(当時、日本の人口は増加していた)。
ロシアのプーチン大統領は、ウクライナはロシアと一体でなければならない、だからウクライナが西欧志向になるのは許せないと考えてウクライナに侵攻した。プーチン大統領は、ロシア帝国の偉大さのためにはウクライナが必要だと考えた。
北一輝もプーチンも、次の選挙ではなく、彼らの考える国家100年の大計を持った政治家なのかもしれない。しかし、もし、プーチン大統領が次の選挙(自由な選挙でなければならないが)のことのみを考える政治屋であれば、ウクライナ戦争を起こさなかったのではないか。国家100年の大計を考えた政治家が政治屋よりも良くない判断をすることもある。