「変える」が見えないのは石丸氏だけではない
筆者には、石丸氏の「変える」は無内容に思えるが、石丸氏だけでなく、多くの人が無内容に「変える」と叫んでいるような気がする。エコノミストには、構造改革が必要だと叫んでいる人が多いが、構造改革で具体的に何をするかは実は分かっていない。
01年初め、テレビの経済討論番組で、当時の亀井静香自民党政務調査会長に、ある有名エコノミストが「なぜ政府は小手先の景気対策ばかりで抜本的な構造改革をやろうとしないのか」と語気鋭く迫ったのに対し、亀井氏は「それではあなたのいう構造改革とはいったい何なのか」と切り返した。このエコノミストは、それに対して何も答えられなかった(野口旭・田中秀臣『構造改革論の誤解』東洋経済新報社、2001年)。あれから20年以上たっているのに、構造改革論派のエコノミストの多くは、具体的には何も答えていないような気がする。
タクシー会社の足りない地域で自家用車をタクシーのように使うというライドシェアぐらいは導入できると筆者は思うが、それもできないようである。また、できたとしても、日本経済の成長率が先進国のトップになるような大変化にはなりそうもない。
であれば、もっと大胆な政策、生産性の低い企業、地域、雇用への保護政策を止めることなどはもっとできそうにない。また、そのような保護政策を止めれば企業の生産性は高まるが、そこではじき出された人が失業者になっては、日本国民全体の所得は高まらない。
そこで、はじき出された人を新たに雇うことが必要になる。しかし、これは日本のこれまでの政治・社会システムを転覆することだから出来そうにない。できそうにないことが分かっているから、空しい「変える」が喧伝され消費されるのではないか。
『アナと雪の女王』でエルサは、「このままじゃダメなんだ」と歌う。確かに日本はこのままではダメだと思うが、政治家がどうしたら良いかを提示しないなら、もっとダメになるばかりだろう。