なぜ、米国の規制は厳しすぎるのか
遺伝子に損傷を起こすことでがんを作ることを遺伝毒性という。EPAは、「PFOSとPFOAには遺伝毒性がないことが示唆されるが、完全に否定しきれない」として、判断は「ある」側に傾いている。他方、食品安全委員会は、PFOS、PFOA、PFHxSには遺伝毒性が「ない」と判断している。リスク評価機関である米国毒性物質疾病登録庁(ATSDR)、欧州食品安全機関(EFSA)、オーストラリア・ニュージーランド食品基準機関(FSANZ)、カナダ保健省も同様に、遺伝毒性はないと判断している。
その結果、WHOを含む各国の飲料水の規制値を比較すると、米国は16年にはPFOSとPFOAの合計で70ナノグラム/リットルと、他国の値とそれほど大きな違いがない値を設定した。ところが21年にPFOAは0.02ナノグラム、PFOSは0.004ナノグラムと、ほとんどゼロに近い値に設定して、世界を驚かせた。しかしこれは実現不可能ということで、24年にともに4ナノグラムに変更したのだが、それでも飛びぬけて低い値になっている。
判断の根拠にした科学論文は共通なのに、なぜ米国だけ判断が大きく違うのだろうか。そして米国内でもEPAとATSDRの判断が違う理由はなんだろうか。それはリスク評価とリスク管理の違いである。
リスク評価機関は、科学的根拠だけに基づいてリスク評価を行う。そこに科学以外の要因が入り込む余地はない。そんなことをしたら評価の中立性と信頼性がなくなってしまう。科学だけに基づけば、世界のどの国の評価結果もほぼ同じになる。
他方、規制値を決めるのは行政などリスク管理機関の任務である。そこでは評価結果だけでなく民意や社会情勢や実現可能性など多くの要因を勘案して規制値を決める。特に重要な点は、不安を解消することである。米国以外のリスク管理機関は、リスク評価の結果をほぼそのまま規制値として採用した。ところが米国はリスク評価よりずっと厳しい値を「予防措置」として採用したのだ。
その理由は、PFASによる汚染が広がり、それが健康被害を引き起こしたとして、製造業者などに対して損害賠償を求める訴訟が多発したことだ。広域の環境汚染と巨額の賠償裁判は米国民に不安と恐怖を広げ、環境対策を政策の重点に置いていたバイデン政権が、安全対策よりずっと厳しい安心対策を講じたのだ。
PFASは1万2000種類以上あるのだが、健康影響が検討されているのはPFOAとPFOSなどごく少数である。そのため日本などは科学的根拠に基づいてPFOAとPFASだけを規制している。他方、一部の国は、安心対策として、科学的根拠は抜きにして、すべてのPFASを規制している。
実は日本も同じことをした。牛海綿状脳症(BSE)の安全対策は危険部位の除去であり、フグを安全に食べる方法と同じだ。ところが世界中で日本だけは全頭検査という非科学的な安心対策を採用した。
また福島第一原発事故後の安心対策として、食品中の放射性セシウムの規制値を500ベクレルから100ベクレルに引き下げた。欧州連合(EU)の1250ベクレル、米国の1200ベクレルなどの規制値の10分の1以下である。安心対策が必要なこともあるが、少なくとも安全対策は健康を守るためであり、安心対策は不安を減らすためという目的の違いは理解する必要がある。
報道の問題点
PFASの健康リスクは極めて小さいにもかかわらず、PFASを恐怖の化学物質に仕立て上げようとするようなテレビ番組があった。水道水から国の暫定目標値である1リットル当たり50ナノグラムの28倍のPFASが検出された岡山県吉備中央町では、血液検査を受けた住民のなかに脂質異常、肝機能異常、腎機能異常、流産があった。これを調査した町の第三者委員会が、「他の地域との差は見られない」として、PFASとの関連を否定している。
ところが番組では流産を経験した住民のインタビューを放送したのだ。そして「一部の研究では、PFASと流産の関連性が指摘されています」と伝え、「現時点で評価は定まっていません」と付け加えた。
食品安全委員会がPFASと流産には明確な関連はないとしているにもかかわらず、PFASが流産を引き起こすような番組を放映したことは、不安を感じる住民に寄り添うのではなく、むしろ不安を大きくするだけであり、さらには番組を見た多くの妊婦に無用の不安を与えたのではないだろうか。
メディアはリスクの存在を広く伝える重要な役割を持つ。それは科学に基づいた合理的な判断により、リスクが大きいことが明確な場合に限られる。
筆者が居住する多摩地域をはじめ、PFAS汚染地域は全国に何カ所かある。そして住民は正しい情報を求めている。そのような人たちに対して、科学を無視して危険情報を拡散し、人々の不安をさらに拡大する報道を行った原因を推測すると、「PFASは非常に危険であり、その危険性を多くの人に伝える必要がある。だから番組は不安を煽っても仕方がない」という間違った思い込みがあったとしか考えられない。
化学物質による環境汚染が大きな問題であることは間違いない。しかし環境汚染と健康リスクは全く別の問題である。振り返ってみると、環境ホルモン問題ではこのことが理解されず、科学的事実と報道の大きな乖離があった。
それから30年後の現在、同じ間違いが繰り返されている。「PFASの健康影響は感情ではなく科学に基づいて合理的な判断をすべき」という1年前の提言を繰り返さなくてはならない状況が続いていることは非常に残念である。