2025年4月16日(水)

Wedge REPORT

2025年3月7日

 それから時を経ること数十年。東日本大震災の前後、講演会の講師を依頼した縁で筆者は、かばん持ちでお供し、数百人の聴衆に謝辞を述べることになった。

 通りいっぺんのあいさつも失礼と思い、〝強盗との対話〟を紹介していいかとお願したら、「そんなこと覚えているの。いいわよ」と快諾してくださった。

 通常なら2、3分で終わるはずの謝辞を10分以上も滔々とやった。

 今から思えば汗顔の至りのだが、反応は上々、「その話、覚えていますよ」、「知らなかったから驚きました」など、曽野さんのやさしさに心を動かされた人も少なくなかった。

 気をよくした筆者は、後日、別な講演会での謝辞でも、その話をしていいかとお伺いをたてたら、曽野さんは「またやるの」と呆れながらも、了解してくださった。

渡辺和子学長との出会い

 曽野さんとのことでもうひとつ、忘れられないのは、シスター・渡辺との出会いだった。

 ノートルダム清心女子大学の学長・理事長を務めた渡辺和子さん(故人)は、1936(昭和11)年の2・26事件で反乱軍から襲撃され殺害された陸軍教育総監、渡辺錠太郎大将(当時)の次女。記者として、また趣味として、昭和史に関心を持っている筆者は、曽野さんに頼んで紹介してもらった。

 『置かれた場所で咲きなさい』などの書作で知られる渡辺さんは事件当時9歳、故大将が拳銃で応戦しようとしている部屋に父を追って入り込み、惨劇を目の当たりにした。

 雨の降る晩春の午後、四ツ谷駅近くの学長の宿舎で、ゆっくりお話を聞くことができた。「私の姿を見た父は、拳銃片手に一瞬とまどった、困ったような表情をしました」など、事件を扱った作品に書かれていない話が少なくなかった。

 曽野さんに、その報告をすると、「よかったわね」、「そうそう、あなた、久原房之助にも興味があるといっていたわね。お嬢さんがご健在だから、紹介するわ」と言ってくださった。

 日立鉱山、日立製作所などの基礎を築いた実業家の久原房之助は、政友会の代議士としても活躍、2・26事件では決起将校に近い政界浪人を自宅にかくまった廉で起訴されたが無罪判決を受けている。

 諸般の事情から、その令嬢への取材が実現しなかったのはかえすがえすも残念だった。


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