批判から逃げず、真正面から受け止める
凛とした人だった。
2015年の春だったか、筆者が籍を置いていた新聞に掲載されたコラムが「アパルトヘイト(人種隔離政策)への支持ではないか」と物議を醸した。
アフリカ支援に熱心な曽野さんは、コラムの中で、「住まいは白人、黒人別々にすべきだ」と書いたが、南アフリカの在京大使が抗議するなどメディアで炎上した。
立派だったのは〝舌足らずだった〟とか〝真意が伝わらなかった〟など失言政治家のような常とう句を用いた弁明をしなかったことだ。
ラジオ番組、外国のニュースサイトなどに、「アパルヘイトなど支持するわけがない。差別によって住む場所を決められることがあってはならないのは当然だ。しかし、自発的に別々になるのは自然であり、差別ではなく区別だ」「誤りがあれば訂正するが、その必要はないと思う」と毅然と反論した。
曽野さんに限らず、誰しもアパルトヘイトに与するわけがなかろうが、あのようなコラムを書いたならば、誤解による批判か、故意による攻撃を受けるだろうことは、よく知っていたはずだ。並の作家なら、そういう微妙なテーマには恐れをなすところだろうが、それを覚悟で、あえて信念を吐露したのだから、その勇気こそ賞賛されるべきだろう。
その後、ご本人から新聞社に「御社にご迷惑をおかけすることなく、批判はすべて私が受け、責任を持ちます」という連絡があったと記憶している。
ごちそうよりスーパーの寿司
ナイーブ、気さくな人でもあった。強盗に襲われた時の話を聞いていて思わず噴き出したことがあった。
「警察の人がきて、しきりに『ケイサツケン』と言っているのよね。何のことかわらなくて、『警察の権利のことかしら』などと首をかしげていたら、主人(三浦朱門氏)が『警察犬のことだよ』というので、警察が犬を使うのかと驚いたのよ」。ウソみたいな話にびっくりしたのはこちらだった。
飾らない人でもあった。
講演にお供するとき、地元名士との会食が予定されているが、曽野さんはいつも、弁当持参。それも近所のスーパ-かコンビニ店かで購入した寿司の折り詰め。「ごちそうよりこっちのほうが、おいしいわよ」と新幹線の中で勧めてくださった。
おいしかったので、「次も持ってくるわね」といわれた時は、思わず「お願いします」といってしまった。筆者には量が少なすぎたが、「この次はふたつお願いします」とはさすがに口に出せなかった。
威厳と慈愛、優雅さ、時としてユーモアのセンスーー。曽野綾子さんはそういう人だった。