2025年12月5日(金)

経済の常識 VS 政策の非常識

2025年8月14日

 戦争はなぜ起きるのかと言えば、戦争で利益を得る人間がいるから起きると考えるのが一番単純で合理的だ。これに関連して、18世紀の末に、ドイツの哲学者イマニュエル・カントは、『永遠平和のために』で、民主主義(当時の言葉では共和主義)の国は戦争をしないと書いている。

 「戦争をすべきかどうかを決定するために国民の賛同が必要となる場合に、(戦争を)始めることにきわめて慎重になるのは、あまりに当然のことである。これに反して、共和的でない体制においては、戦争はまったく慎重さを必要としない世間事である。かれ(元首)は戦争によってかれの食卓や狩や離宮や宮中宴会などを失うことはまったくないし、そこで取るに足りない原因から戦争を一種の遊戯のように決定する」と書いている(本稿の引用文は分かりやすくしている)。

 要するに、自分が戦争で死ぬか戦争のために重税を課せられる立場にあるものは戦争をしたがらない。だから、市民が戦争に責任を負う政府ができれば戦争にならないはずだというものである(イマニュエル・カント『永遠平和のために』32-33頁、岩波文庫、1985年、原著1795年)。これは、戦争のコストを誰が負担するかによって戦争の可能性が変わるということである。

日本はなぜ、太平洋戦争へと突き進んでしまったのか(近現代PL/アフロ)

 ただし、逆に言えば、戦争で死なないし、戦費もかからず、したがって重税も課せられず、かつ利益がありそうな戦争なら、民主主義の国も戦争をするということにもなる。西欧列強は、ナポレオン戦争から第1次世界大戦まで、戦争で死ぬ確率も高く、戦費も巨額になる、お互い同士での大規模な戦争をしなかったが、アジアやアフリカでは、植民地獲得戦争を度々行っていた。戦争で死ぬ可能性も低く、戦費もかからず、利益も大きいと考えていたからだろう。

日本の戦争に利益はあったのか

 では、日本の戦争の場合はどうだったのか。小説家の永井荷風は、1941年9月6日の日記に、「今日わが国において革命[軍人が政府を乗っ取ったこと]の成功せしは定業なき暴漢と栄達の道なかりし不平軍人と、この二種の人間が羨望(せんぼう)妬(と)視(し)の極(きょく)旧政党と財閥、即ち明治大正の世の成功者を追い退(しりぞ)けこれに代わりて国家をわがものにせしなり。かつては家賃を踏み倒し飲酒空論に耽(ふけ)りいたる暴漢と、朋党相より利権獲得にて富をつくりし成金(なりきん)との争闘に、前者勝ちを占めしなり。……ここに喧嘩の側杖(そばづえ)を受けて迷惑するは良民のみなり。……手堅き商人はことごとく生計の道を失い威嚇(いかく)を業とする不良民愛国の志士となりて世に横行す。されど暴論暴行もある程度に止め置くこと必要なり。牛飲馬食もはなはだしきに過ぐれば遂には胃を破るべし。……志士軍人やからも今日までの成功をもって意外の僥倖(ぎょうこう)なりしと反省し、この辺りにて慎(つつし)むがその身のためなるべし。」(『断腸亭日乗』下、151-152頁、岩波書店、1987年)

 永井が利益と見たものは、戦争で得る利益より、国内での権力奪取による利益である。戦争は権力を得る手段と見ていたのだろう。戦争を続けていれば、軍人の力は増大する。


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