銅の輸出港アントファガスタと銅鉱山町カラマの中国商人
アントファガスタとカラマはチリの外貨稼ぎ頭の銅産業で潤っている地方都市。
アントファガスタの繁華街バケダノ通りにはわずか100メートルの区間にモール・チノ(2店舗)、バザール・チノ、ホンダ・マーケット(2店舗)という大型総合中国雑貨デパートが堂々たる店構えを競っていた。その間に中華レストランもあり一帯は中華街の様相を呈していた。
カラマのグラナドス通りは、世界最大の露天掘り銅鉱山チュキカマタや、他の都市を結ぶ主要街道。市街地を抜けたあたりに郊外型ショッピングセンター、ホームセンター、車のディーラーなどが並んでいる。2軒の大型中国雑貨ショップが、街道を挟んで斜向かいに営業していた。オセアノ・スパは広州出身チリ在住8年のアラフォー青年が3年前開業。
建物は先代オーナーが経営していたエステ&スパを居抜きで賃借している。看板も店名も先代から引き継いでいるほど、徹底して初期投資を小さくしているのは、中国人共通の経営哲学である。メルカ・アジアは、浙江省出身チリ在住7年のアラフォー青年が3年前に開業。取り扱い品目が多様で100円ショップとホームセンターを併せたような業態だ。
2人とも移住して4~5年で大型店舗を労働者の可処分所得の大きい都市に開業しており、ヤリ手なのだろう。業績も“まあまあ”(環可以)というが大阪商人の“ぼちぼち”同様に“あんじょう儲かってますねん”という本音を意味している。
アルゼンチンもチリ同様に中国雑貨が席捲、競合なく価格支配も可能に
アルゼンチンでもブエノスアイレスは言うに及ばず、メンドーサ、バリロ―チェ、サルタ、コルドバなど地方の町でも中国雑貨ショップが着々と地歩を固めている。日本ではコンビニと100円ショップの全国展開により、大都市はおろか地方でも昔ながらの雑貨屋が姿を消したように、アルゼンチン、チリでも地場の雑貨屋は中国雑貨に圧されて姿を消しつつあるようだ。
プエルトモントの中国雑貨店で会った地元中年紳士が多少の憤懣を込めて
指摘したように、雑貨類を製造するローカルの中小企業が採算割れで潰れ、昔ながらの地場の雑貨屋も淘汰されるのではないだろうか。アルゼンチン・チリでは、日常雑貨の価格が中国雑貨店により支配される時代が来るのではないだろうか。両国ともに鉱物資源、牧畜業、農林業、水産業は国際的に優位性があるが、政府が輸入代替製造業の育成に失敗して以来、大きな製造業は育っていない。ましてや日用雑貨など小規模製造業は元来国際競争力がない。
筆者は以前にも何度か中国商人の欧州や米国などへの海外進出について書いたことがある。『深夜のマドリードで稼ぐ中国人少年少女の正体』(2016/11/13)、『人口侵略という中国共産党の長期戦略』(2016/11/20)、『国境の南(The South of Border”)メキシコを覗いてみれば』(2017/04/23)をご参照。
当時は中国商人の武器は異国に根を下ろす華僑精神と、安い中国雑貨と土日も深夜も営業するハードワークであると理解していた。ところが、南米ではさらに工業製品の国際的優位性を活かして“市場占有”からさらに“価格支配”へ移行しつつあることに気づいた次第。
